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オーボエによるドイツリート、シューマン夫妻とブラームス ~歌詞のない歌の世界~

オーボエによるドイツリート、シューマン夫妻とブラームス ~歌詞のない歌の世界~

現在、ベルリンフィルのアカデミー生としてドイツへ留学中の荒川文吉さんによるコンサートが7月14日に開かれました。

サロンでは昨年、黒岩さんと斎藤さんとトリオエクスプロージョンとしてご出演いただきました。前回のトリオも今回のソロも、なんと3日で満員になってしまいました!

プログラムはほとんどが歌曲(しかもドイツリート)という珍しい内容で、主軸はロベルト、クララの両シューマンによるそれぞれの「3つのロマンス」です。

「管楽器は音楽を息で表現します。言わば「歌詞のない歌の世界」です。管楽器による歌曲の表現を通して、より自由な想像が膨らむ音楽体験を目指せたら」と語る荒川さん。

今、肌で感じているドイツの気風、シューマン、ブラームス夫妻が実際に過ごした空気、空間、ドイツの三人の偉大な作曲家からの愛の便りを、荒川さんが美竹清花さろんへ熱い思いを込めて届けてくださいました。
 


♪R.シューマン:アダージョとアレグロ

1849年にホルンとピアノのために書かれた曲で、「シューマンの幸せな時期に書かれた」とのMCのとおり、アダージョでは艶のある優しい音色が空気に溶け込み、時を忘れさせるように伸びていきます。続くアレグロの同音の連続では元気を弾けさせ、オーボエという楽器のポテンシャルの高さに驚かされました。鋭い音でも丸く、果実のように潤った一音一音の響きに一曲目からすっかり魅了されました。
 
 
1曲目の後、クララ・シューマンとロベルト・シューマンの話がMCで紹介されました。クララの結婚に反対するクララの父親との裁判からの勝訴を経ての結婚式の前日、歌曲集「ミルテの花」がロベルトからクララへ贈られたとのこと。曲を花に見立て、曲(花)をたくさん集めて花束にして贈るという、なんとロマンチックなエピソードなのでしょう。

紆余曲折を経てやっと結ばれるという喜びに溢れた曲たちが、瑞々しくオーボエで歌い上げられました。
 

♪R.シューマン:ミルテの花より

「献呈」は、喜びに胸が踊るようなピアノの上行形とは対照的に、オーボエはフレーズ終わりの下がってくる音形を非常に丁寧に吹き、愛が溢れます。これらの下行音形への愛にあふれた演奏から、筆者は愛おしそうにクララの髪の毛を撫でるロベルトの姿を想像しました…。

「くるみの木」では、オーボエに歌詞がないからこそ、ピアノの音色との親和性が高く、親密な掛け合いが生きていました。

「蓮の花」は、歌で聴くと長調にもかかわらず悲しく聴こえますが、オーボエだと甘さと愛しさが際立つようです。蓮の花の月への愛(それはロベルトのクララへの愛と重ねることができるでしょう)が曲の終わりに向かって増し、愛のあまりに涙が溢れる音が私たちの胸にしみわたりました。
 

ここでまた、分かりやすいMCが挟まれます。

 
続く「月の夜」は、同じ題名からも想像ができように、同じ詞に曲がつけられており、シューマンの方が先に書かれ、それに感銘を受けたブラームスが同じ詞に曲をつけたもの。「それだけブラームスがシューマンのことを尊敬していたということで、2人の心の結びつきが窺い知れるエピソードと曲だと思います」と、荒川さんは話してくださいました。
 

♪R.シューマン:リーダークライスより「月の夜」

荒川さんは「風などの自然を感じる」とのこと。ピアノの柔らかな降りてくる音は降り注ぐ月の光そのもののようで、オーボエは寂しさを湛えた静かな音色が会場に広がりました。
 

♪ブラームス:月の夜

荒川さんの印象は、「シューマンとは着眼したところが違ったのか、夜を感じる」。ブラームスのやわらかい音色が魅力的に表現され、とくにロングトーンの途中で音色がグラデーションで変わっていき、この上なく美しかったです。

この2曲の景色の違いを、音色を使い分けながら私たちへ確かなイメージをもって届けてくださる荒川さんの表現力に、目を見張るプログラムでした。
 

♪R.シューマン:3つのロマンス

第1曲の思わず息を飲むほど美しいオクターブの跳躍から始まり、第2曲は、音域によって音色が変わるのみならず、同じ音域でも自在に音色が変わり、中間部はとくに会話のように聞こえました。まるでシューマンの心が分裂し、何人ものシューマンが葛藤を吐露し合っているかのようでした…。

第3曲は、寂しさが私たち中にすっと入ってきて、心の奥底まで静かに降りていくよう。ピアノとの絡みも美しく、美しいが故に切ない…綺麗なものは悲しいのだと、ハッと気づかされました。
 

ここで休憩をはさんで後半です。


荒川さんは「クララの曲には芯のある強さという点での“女性らしさ”があると思います」と話し、シューマンとの共作である12曲からなる「愛の春」から、クララの書いた三曲(第2, 4, 11曲)を演奏してくださいました。
 
 
♪C.シューマン:フリードリヒ・リュッケルトの詩による3つの歌曲op.12
 
1.「あの人はやってきます」

<あの人はやってきます 嵐と雨の中を>がリフレインとして繰り返され、焦燥が強調されている曲です。オーボエでは、ブレスの音は聞こえないのに、音そのものから息づかいが聞こえてきました。

2.「あなたが美しさゆえに」

MCで荒川さんは「この曲の歌詞は<おお私を愛さないで!>と繰り返し、最後に<あなたが愛ゆえに愛するのなら、おお私を愛してください!>というところ、新婚でこれかというほどなかなか重いですね。しかしそれがクララのパーソナリティなのだと思います」と話し、会場を笑いに誘っていました。シンプルな曲ゆえに深い愛情がダイレクトに伝わってくるようです
 
3.「どうして他の人たちに尋ねようとするの」

<信じないで、あなたに語りかけるこのふたつの瞳以外のものは!>という強い歌詞とは裏腹に、優しさに満ちた曲で、オーボエとピアノの睦まじいデュエットがあたたかく響きました。
 
 
再びブラームスの登場です。「6つの歌曲op.6」は、ブラームスがシューマン夫妻と出会う1853年の前年、1852年に書かれました。(ちなみに、シューマン夫妻を訪れた時のブラームスの年齢は20歳、クララ34歳、ロベルト43歳でした。この翌年、ロベルトはライン川に投身自殺をはかります)。

 
♪ブラームス:6つの歌曲op.6
 
1.「スペインの歌」は、<起こしちゃおうかな? いえ、やめとこう!>が繰り返される、スペイン風の明るい短調。ウィットに富んだオーボエの表現が秀逸でした。

2.「春」冬から目覚めた春の歌、私の心も目覚め、彼方へ飛び去っていくよう。

3.「名残」は<彼女は去り、喜びは沈んだ>と始まり、ピアノの半音階進行との絡みが美しく、大仰な短調ではないところに、主人公の虚ろな悲しみが透けて見え、なおさら悲しく感じました。

4.「万歳!」は<何とまあ大地は美しい、美しいのだろう!>がリフレイン。壮大な歌詞に対してピアノは軽く、オーボエも飛び跳ねる軽い音色で、大地の美しさを手放しで喜んでいました。

5.「ちょうど雲が太陽を追いかけ」は、前曲と対照的な息の長いフレーズで、深い心情を歌い込んでいます。甘く幸福な響きの中にも陰りがあり、ブラームスらしさが垣間見えました。

6.「ナイチンゲールは羽ばたかせるのだ」はいくつもの曲想が目まぐるしく移り変わり、それに合わせてオーボエの表情もころころと機敏に変わり、非常に充実していました。
 
 
この演奏会の主軸の片割れ、クララによる「3つのロマンス」は1853年、ロベルトの自殺未遂の前年に書かれています。女性らしいメランコリーに満ちており、荒川さんは「ロベルトの3つのロマンスをとくに男性らしいと思ったことはなかったけれど、クララの3つのロマンスを聴くと、『ロベルトも男だな』と感じます。クララのこの曲には、女性ならではの書法にあふれていて、きっと男性にはこのような曲は書けないのではと…新鮮な発見がたくさんありました」と話しました。

 
♪C.シューマン:3つのロマンスop.22

第1曲は、高音への駆け上がりが印象的で、抑えていたものが一時的に解放されたかのよう。
第2曲は低音の深さが、ロベルトを支え続けたクララの懐の深さや愛情深さを感じさせて切なくなりました。
第3曲は、ピアノの多彩な書法にロベルトの影響が見えるように思いますが、高音へ上がる表情があくまでも暗くメランコリーなところはロベルトと対照的でした。
 

充実したドイツリートの世界の本編の後、アンコールは今の季節にちなんで、オーボエとピアノのためのソナタ「夏」を熱演してくださいました。
日本の夏とは違った、ヨーロッパの涼やかで明るい夏を感じられる、爽やかなアンコールでした。

♪Albin Fries『Sonate für Oboe und Klavier "Sommer" op.19』より第一楽章

 

当日は夏真っ只中で、盛りだくさんのプログラムと、荒川さんの想いのこもった演奏、そして、会場の集中があいまって、とても熱いリサイタルとなりました!ありがとうございました!
 
 

<プロフィール>

荒川文吉(あらかわ・ぶんきち)Oboe

1992年、東京都出身。12歳よりオーボエを始める。東京藝術大学卒業。同大学院音楽研究科修士課程修了。修了時に大学院アカンサス音楽賞受賞。
これまでにオーボエを池田昭子、広田智之、青山聖樹、小畑善昭の各氏に、室内楽を守山光三、和久井仁、岡本正之、小池郁江、高木綾子、植田克己、十亀正司、三界秀実、有森博の各氏に師事。また、オットー・ヴィンター、ディートヘルム・ヨナス、トーマス・インデアミューレ、モーリス・ブルグ、ハンスイェルク・シェレンベルガー、ジェローム・ギシャール、ジョヴァンニ・デ・アンジェリ、ローラン・ペルヌー、アルブレヒト・マイヤー、フィリップ・トンドレ各氏のマスタークラスを受講。
2013年第82回日本音楽コンクールオーボエ部門第2位ならびに岩谷賞(聴衆賞)受賞。2014年第31回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位ならびに文部科学大臣賞、東京都知事賞受賞。国際ダブルリード協会主催2015年度フェルナンド・ジレ=ヒューゴ・フォックス国際オーボエコンクール第2位(日本人過去最高位)。
これまでに、ソリストとしてダグラス・ボストック指揮藝大フィルハーモニア、山下一史指揮東京ニューシティ管弦楽団と協奏曲を共演。
2016年8月、サントリーホール30周年記念演奏会に於いて武満徹作曲「ジェモー(双子座)」にオーボエソリストとして出演し、東京フィルハーモニー交響楽団と共演。
2014年9月、ヤマハホールコンサートシリーズ「Rising Artists Concert」出演。同年11月、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」出演。2016年5月、東京オペラシティコンサートシリーズ「B→C」出演。
「Trio Explosion」メンバー(Fl. 齋藤志野、Ob. 荒川文吉、Pf. 黒岩航紀)。
公益財団法人青山財団平成25年度奨学生。
2014年、大学4年在学中に東京フィルハーモニー交響楽団に入団。現在、同楽団首席オーボエ奏者。
2017年秋より、アフィニス文化財団海外研修員としてベルリンへ留学。2017年9月より、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の「カラヤンアカデミー」に在籍。ジョナサン・ケリー氏に師事。
2018年2月、ベルリンフィルメンバーによる「Scharoun Ensemble of Berlin」のローマ公演に参加。

 

宇根美沙惠(うね・みさえ) Piano

東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業、その後同大学同学部楽理科卒業。
ピアノを佐野幸枝、北島公彦、浜口奈々の各氏に師事。また、ジャック・ルヴィエ、エリック・ル・サージュ、フランツ・ボーグナー等各氏のマスタークラス修了。
PTNAピアノオーディション、日本ピアノ教育連盟オーディション、かながわ音楽コンクール等で入賞、入選。
リサイタルやNHK-FMにて様々な演奏家と共演し、多方面にて活動している。
これまでローム音楽セミナー、国際ダブルリードフェスティバル、日本木管コンクール、浜松国際管楽器アカデミー等にて公式ピアニストを務める。
現在、東京藝術大学管打楽科非常勤講師(伴奏助手)。