別格、異次元、本物の震撼、入江一雄のベートーヴェン
入江一雄のベートーヴェンが聴きたい── 無性にそんな欲求に駆られるときがある。
プロコフィエフに関しては、渋谷美竹サロン初の全曲シリーズ(2018-2019)で全ピアノソナタを披露しており、プロコフィエフの多彩で多様な魅力の全貌を案内する大変な秀演であった。この全曲演奏によって改めてプロコのピアノソナタの面白さを知った方も少なくないだろう。
しかし、古今東西あまりにも名演、秀演の多いベートーヴェンの3大ピアノソナタである悲愴、月光、熱情、そしてハンマークラヴィーアを体験したとき、まさにこれは大変な演奏である、この演奏をして「別格、異次元、本物の震撼のベートーヴェン」と言わずして何と言おうか、正直、そうした衝撃に襲われた。
その演奏を一言で表現するとしたら「あくまでも正統なプラットフォームである入江一雄というベートーヴェンの演奏をバックボーンとして、フルトヴェングラーが乗り移り、自家薬籠の交響曲第5番や第7番を指揮しているかのごとくにピアノ演奏を行っているのではないか!」そんな印象を受けてしまったのである。
入江一雄による深い洞察と研ぎ澄まされたタッチによって、立体的に奏でられるベートーヴェンはとにかく身が引き締まると同時に爽快である!
空間に放たれる音とその響きに込められた達観した解釈、気品、ダイナミズム、しかし決して自然さや伸びやかさも失われることはない、ともかく上質で気高い響きなのである…そうした格別の魅力に富んでいるのが“入江一雄の今”なのだ。
「ピアノはオーケストラを指揮するように演奏するものだ」と耳にすることがあるが、身近な場でそれを初めて実感させてくださったピアニストは入江氏だった。
冒頭ではプロコフィエフ演奏の魅力に触れたが、入江一雄というピアニストの多彩な魅力に初めて気がついたのは、6年前の横浜みなとみらいホールでの“マロ”ことN響の名コンマス=篠崎史紀氏とのジョイントコンサートで演奏したモーツァルト(ピアノ三重奏曲変ロ長調K.502)であった。なぜかこの演奏には痺れてしまった。
しかし、やはり、「入江一雄のベートーヴェンが聴きたい」と切実に思う方が多いだろう。
そうした願いが叶えられたのか、今回のプログラムでは、ベートーヴェン ピアノソナタ第30番、第31番、第32番の後期3大ソナタが予定されることになった。
ベートーヴェンのピアノ作品の中でも不滅の金字塔である。中期までの“人間臭さ”からは解放され、孤高の神々しさすら感じる精神性の高い最期の作品群である。最近ではバレンボイムが来日した際に演奏したことで記憶に新しい。
バレンボイムの演奏もすばらしかった。かつてよりも清らかで純粋、枯淡の自然な成り行きを感じさせるとでも言ったらよいのか、そんな演奏であった。
演奏するたびに円熟さを増してきている“入江一雄の今”を、今回はベートーヴェン最期の後期3大ソナタで味わうことができることになった。なんとありがたいことか!
(渋谷美竹サロン)
プロフィール
入江 一雄(IRIE Kazuo)Piano
東京藝術大学・同大学院を首席で卒業・修了。2012年9月よりチャイコフスキー記念ロシア国立モスクワ音楽院研究科に在籍し、2016年夏にディプロマを取得し同科を修了。留学中にロームミュージックファンデーション(2012,13年度)・文化庁(2015年度)より助成を受ける。
第77回日本音楽コンクールピアノ部門第1位、第1回コインブラ・ワールド・ピアノ・ミーティング(ポルトガル)第5位入賞他受賞多数。幅広いレパートリーの中でもライフワークであるプロコフィエフのピアノソナタ全曲演奏会を成功させる等のソロ活動に加え、国内主要音楽祭やNHK-FM「リサイタル・パッシオ」への出演、新日本フィル・東京フィル・日本フィルなどの国内主要オーケストラとの共演や、若手演奏家からベテラン奏者まで幅広い音楽家との共演機会も多い。近年ではN響第一コンサートマスター篠崎史紀氏から絶大な支持を受け、同氏リサイタルや室内楽公演で多くの共演機会に恵まれる。
2021年よりソロ・リサイタルシリーズをスタートさせる。
これまでに植田克己、エリソ・ヴィルサラーゼら著名な音楽家に師事。現在、昭和音楽大学専任講師・桐朋学園大学非常勤講師を務める。王子ホールレジデンス「ステラ・トリオ」メンバー。