演奏技術が飛躍的に向上している今、アーティストの個性が埋もれ、没個性化が進んでいるように感じることもある。
チェリストも例外ではなく、現在の日本には、世界的に見てもトップレベルの奏者が何人もいる。
そんななかで、これほど “ 歌うチェロ ” と感じさせる演奏に出会ったのは初めてのことだった。
水野優也のチェロは、ただ柔らかく美しいだけではなく、響きが立体的で、何を歌っているのか、それがよく見えるのだ。
可動域の広さ、表現の幅、そしてチェロが持つ叙情性 ── そのすべてが彼の演奏にはある。
チェロという楽器が、こんなにも華やかで、多彩な表情を持つものだったのかと ── 改めて感じさせてくれる。
過去の名演とされる演奏を語るときに「リリシズム(叙情性)」という言葉を使うことがあるが、それは平たくいえば「味がある」ということなのだろう。
均一化されすぎているのではないか、と感じられることが多い現代において、「リリシズム」を感じさせてくれる演奏家は、もはや稀少な存在になりつつある。
しかし、水野優也のチェロには確かにそれがある。
「美竹サロン」という制限の無い空間の中で、彼はまさに「チェロの奥深い可能性」を示すようなプログラムを提案してくれている。
まず、ベートーヴェン「チェロ・ソナタ第3番 イ長調 Op.69」。
ベートーヴェンらしいモティーフの扱いと、チェロとピアノの対話が、驚くほど洗練された形で展開される。
ドヴォルザーク「ロンド ト短調 Op.94」は、民族色豊かな旋律がチェロの歌心を引き立てる佳作。
そして、プーランク「チェロとピアノのためのソナタ FP143」。
プーランク特有の洒脱さとウィットに富んだ旋律が、どこか都会的な空気を醸し出す。
しかし、その裏には、ふとした瞬間に胸を打つ抒情が潜んでいる。
後半は、また違った方向からチェロの表現の可能性を追究する。
リゲティ「無伴奏チェロソナタ」は、現代音楽の中でも特に演奏効果の高い作品。
ここにはリゲティにありがちな「難解さ」はなく、むしろ透明な響きが宇宙的な広がりを感じさせる。
そして、ショパン「チェロ・ソナタ ト短調 Op.65」。
ショパンの数少ない室内楽作品の中でも、最もロマンティックな楽曲のひとつであり、
特に第3楽章のカンタービレは、ショパンの抒情美が極まる瞬間だろう。そして、このプログラムの真価を引き出す鍵を握るのが、ピアニストの存在だ。
五十嵐薫子のピアノは、まさに “ インスピレーション型 ” といったらよいのか、音楽の流れに鋭敏に反応し、時に情熱的に、時に深く沈み込むように歌う。
彼女のピアノ演奏は、音楽を変幻自在に「彩る」。
水野優也のチェロと五十嵐のピアノが、互いに触発し合いながら、どのような音楽的対話を紡ぎ出すのか、その瞬間に立ち会えること自体が、貴重な体験となるに違いない。
こうした演奏会は、単なる演奏会ではなく、音楽の可能性を探る “ ひとときの旅 ” だ。(渋谷美竹サロン)