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田原綾子&實川風デュオリサイタル

2025年09月15日 [月]
開場14:30 開始15:00
渋谷美竹サロン

出演

ヴィオラ田原 綾子
ピアノ實川 風
田原 綾子(TAHARA Ayako)Viola
第11回東京音楽コンクール弦楽部門第1位及び聴衆賞、第9回ルーマニア国際音楽コンクール全部門グランプリを受賞。
国内外でリサイタルが定期的に行われており、ソリストとして読売日響、都響、東響、東京フィル等と共演。室内楽奏者としても国内外の著名なアーティストと多数共演し、オーケストラの客演首席も務めるなど、活躍の幅を広げている。現代音楽にも意欲的に取り組んでおり、新作の委嘱や世界、日本初演も数多い。
TV朝日「題名のない音楽会」、NHKBS「クラシック音楽館」、NHKFM「リサイタル・ノヴァ」、宮崎国際音楽祭、武生国際音楽祭、別府アルゲリッチ音楽祭、武生国際音楽祭、ラ・フォル・ジュルネ等に出演。第23回ホテルオークラ音楽賞受賞。
桐朋学園大学を卒業後、パリ・エコールノルマル音楽院、桐朋学園大学大学院、デトモルト音楽大学をそれぞれ最高得点で修了。藤原浜雄、岡田伸夫、ブルーノ・パスキエ、ファイト・ヘルテンシュタインの各氏に師事。
Music Dialogue Artist、アンサンブルofトウキョウ、エール弦楽四重奏団、ラ・ルーチェ弦楽八重奏団、Trio Rizzleのメンバーとして活躍中。

實川 風(JITSUKAWA Kaoru)Piano
2015年ロン・ティボー国際コンクール第 3 位(フランス・1 位なし)、最優秀リサイタル賞、最優秀新曲賞。2016 年カラーリョ国際ピアノコンクール(イタリア)にて第1位を受賞。
本格的な演奏活動を開始し、別府アルゲリッチ音楽祭・仙台クラシックフェスティバル・上海音楽祭・ソウル国際音楽祭・ノアン・ショパンナイト(フランス)・アルソノーレ(オーストリア)などの国際音楽祭に客演。
幅広くレパートリーを持っているが、近年はバッハを演奏活動の中心に据えており、2023年にバッハアルバムをキングレコードよりリリース。チェンバロ演奏にも取り組み、バッハ演奏の研究を続けている。
東京交響楽団・東京フィル・日本フィル・新日本フィル・シティーフィル・ニューシティフィル(現パシフィックフィル)・大阪交響楽団・日本センチュリー交響楽団・名古屋フィル・千葉交響楽団・群馬交響楽団といった主要オーケストラと共演。
東京藝術大学を首席で卒業し、同大学大学院(修士課程)修了。グラーツ芸術大学ポストグラデュエート修了。
2024年4月より、東京藝術大学器楽科ピアノ専任講師を務め、後進の育成にも力を注いでいる。

プログラム

G.フォーレ :
夢のあとに Op.7-1
9月の森で Op.85-1
歌曲集「閉ざされた庭」 Op.106
「イヴの歌」より 楽園 Op.95-1

D.ショスタコーヴィチ : ヴィオラとピアノのためのソナタ Op.147

チケット情報

当日、現地払いでお願いいたします。

5,000円(一般・全席自由席)
4,500円(会員・指定席あり)
2,500円(学生・全席自由席)

※会員のご紹介はこちら

★8Fラウンジにてウェルカムドリンクとお茶菓子をご用意しております。

お問い合わせ先

主催渋谷美竹サロン/株式会社ILA
03-6452-6711
070-2168-8484
info@mitakesayaka.com

沈黙のなかのうた—— ヴィオラとピアノが紡ぐ、祈りと記憶の音楽
〜ショスタコーヴィチ没後50年に寄せて〜


2025年、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ没後50年。
最晩年に遺された《ヴィオラとピアノのためのソナタ》Op.147を軸に、ひとつの静かな対話が始まる。
そこに寄り添うように置かれたのは、ガブリエル・フォーレの晩年の歌曲たち。
《夢のあとに》《9月の森で》《楽園》《閉じられた庭》—— いずれも、言葉では語り尽くせない感情が宿る詩的な作品である。
言葉の奥にひそむ“声なき声”が、まるで空気の中を漂う光のように、音楽として立ち上がる。
歌詞を持たぬヴィオラでそれらを奏でるという挑戦に、田原綾子は迷いなく身を委ねる。
中低音域に宿るヴィオラ特有の温もりが、言葉では語り尽くせない感情の襞を、詩のように、あるいは祈りのように紡いでいく。

田原のヴィオラには、楽器への深い信頼と音楽への愛がにじむ。
「ヴィオラが好きでたまらない」と語るその姿勢は、演奏の一つひとつ、そしてあの笑顔にも自然に表れている。
技巧のための音ではない。
何かを説明するための音でもない。
そこにあるのは、ただ“歌う”ということへの純粋なよろこびだ。
彼女の音が鳴ると、空間がふっと柔らかくなる。
それはきっと、楽器を心から愛し抜く者だけが奏でられる、特別な「うた」なのだ。

後半に置かれたショスタコーヴィチの《ヴィオラとピアノのためのソナタ》Op.147は、まさに作曲者の絶筆。
亡くなる数週間前に完成されたこの作品には、死の予感とともに、なお音楽への執着が静かに刻まれている。
第3楽章では、ベートーヴェンの《月光ソナタ》がひそやかに引用される。
それは過去への回帰なのか、それとも永遠への入口なのか—— 音楽だけが、静かにその答えを知っている。

實川風のピアノは、そうした音楽の深層にごく自然に寄り添う。
自己主張ではなく、音楽への献身。
鋭い知性と繊細な感性、美への誠実な姿勢を併せ持ちながら、流れる清流のように音と音のあいだをつなぎ、時には“沈黙そのもの”をも音楽へと変える。
フォーレの淡い和声がふと沈み込む瞬間、ショスタコーヴィチの旋律が断絶と再生を語るとき、そのすべてを實川のタッチが確かに受け止めてゆく。

そしてあらためて気づかされる。ヴィオラとピアノ—— この二つの楽器の対話が、どれほど繊細に、どれほど深く人の心の奥にまで降りていけるのかということを。
目を奪うような華やかさも、大きく揺さぶるような激情も、ここにはない。
がしかし、だからこそ響くものがある。
音楽が音楽であること、その根源にある、静かで凛とした美しさ。
その核心に触れるひとときとなるだろう。(渋谷美竹サロン)