これぞロシアンピアニズムの境地──
漂流する国の孤高なる音楽が、今ここに。
「文は人なり」というが面白いもので「演奏も人なり」だ。
“演奏”にも“文”同様、その人のさまざまなパーソナリティが表れる。
浜野与志男は日本人とロシア人のハーフであり、日本語とロシア語のバイリンガルだそうだ。
日本人と欧米人のパーソナリティは異なっているが、それはピアノの演奏面にも表れている。
きわめて包括的な言い方だが、日本人の演奏は細やかで個々の音を大切にする。また、どちらかといえば無個性、没個性的な演奏が多いといえる。
それに対して欧米人の演奏は、個々の音や響きよりも曲全体の構成や流れを重視し、その中に自分の個性や芸術性も表現しようとする演奏が多いように感じられる。
もちろん、大雑把なこうした言い方は、個々のケースに当てはめた場合には、必ずしも当たっていないことも多い。しかし、日本では個性よりも画一的な教育の重視、社会全体が異質さを好まない横並び主義の尊重という教育や文化の相違からもそういえる面があることは否めない。
浜野与志男の演奏を聴くと、日本人の長所と欧米人の長所がうまく融和しているような特長を感じる。
そしてそれは、浜野のパーソナリティにも関係していることに気づかされる。
浜野は日本とロシアでピアノを学んでいる。留学先もロシアである。
浜野のロシアものの演奏では、「日本人が弾くロシアもの」ではなく、「日本人にわかりやすい、共感できるロシア人が弾くロシアもの」を聴くことができる。
この演奏会では、「ラフマニノフ、タネーエフ、ショスタコーヴィチの作品の一つひとつは自叙伝の一節のようだ」と語る浜野による日本人に共感できる本物のロシアの心を聴くことができるだろう。
(美竹清花さろん)