そびえ立つ巨作、“ハンマークラヴィーア”
挑んだ先に見るもの──
精神に顔はあるのか──
ベートーヴェンのソナタに魅入られたのは、私が小学5年生のときでした。チェルニー40番練習曲を終えたご褒美として、ベートーヴェンのソナタに取り組むことになったのです。
ベートーヴェンのソナタには、楽章ごとにドラマがあり、さらにそれらの楽章が合わさって大きなストーリーになっています。ソナタ形式で書かれることの多い第1楽章ではさまざまな楽想が登場し(提示部)、表情や意味合いを変えていきながら曲が進行し(展開部)、やがて再び主題たちが元の形で現れます(再現部)。この構成に心惹かれないでいられましょうか。激闘の展開部から、再現部へ到達するほっとする瞬間が、昔からいちばん好きです。
いま、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを専門的に研究するにあたって、再現部の意味合いについてより深く考えるようになりました。提示部で登場するのは、「男性的」とされる主要主題と、「女性的」とされる副主題ですが、これらの対照性は対決や対話を繰り返しながら、展開部において分解されていきます。そして辿りついた再現部で、ペルソナ(仮面)を剥ぎ取られ、深みを極めた楽想から、どのような精神を見ることができるでしょうか。ベートーヴェンの「精神」に迫ります。
ベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏に向けて
ベートーヴェンのピアノソナタを弾くと、心が洗われるように思います。200年ほど前に書かれたにも拘らず、今でもさまざまな発見に満ちています。
弾く度に、聴く度に、新しい。作品を「読み直す」ことによって、生きた息吹が通い、新鮮な感動が生まれます。
さらに、ベートーヴェンのソナタは、作品内でも作品相互間においても複雑な相関関係を持ち、互いに注釈し合っています。そのため、従来に多い時系列順の全曲演奏ではなく、私独自の視点からプログラムを組みました。
これまでにない分析を演奏に生かすことを試みたいと思っています。
このような意義深く記念碑的なベートーヴェンのピアノソナタの全曲を演奏させていただくことに至福の思いを抱いています。
親密な空間のサロンで行うことで、聴衆の方も作品に積極的にアプローチしやすくなり、作品に「参加」していただけるのではと思いを込めています。
(鐵 百合奈)
プロフィール
鐵 百合奈(TETSU Yurina)Piano
1992年香川県生まれ。N&FよりデビューCD「シューマン: ソナタ3番 ブラームス: 左手のためのシャコンヌ」をリリース。「レコード芸術」て準特選盤、毎日新聞で特薦盤に選ばれ、作品への深い洞察と共感による情感豊かな演奏と評価される。
2019年2月よりベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏シリーズを渋谷の「美竹清花さろん」にて開催、NHKからドキュメンタリーが放映される。
横須賀芸術劇場や三井住友海上文化財団のフレッシュアーティスツに選ばれるなど、多くのリサイタルを開いている。
第86回日本音楽コンクール第2位、岩谷賞(聴衆賞)、三宅賞。第4回高松国際ピアノコンクール審議員特別賞。第20回日本クラシック音楽コンクール高校の部第1位、グランプリ。第11回大阪国際音楽コンクール、第14回ローゼンストック国際ピアノコンクール、各第1位。 2017年度香川県文化芸術新人賞受賞。
2015年、皇居内桃華楽堂において御前演奏を行う。これまでに神奈川フィルハーモニー管弦楽団、芸大フィルハーモニア、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、高松交響楽団、名古屋シンフォニア管弦楽団、読売日本交響楽団と共演、2020年9月に東京交響楽団と共演予定。
論文「『ソナタ形式』からの解放」で第4回柴田南雄音楽評論賞(本賞)を受賞、翌年『演奏の復権:「分析」から音楽を取り戻す』で第5回同本賞を連続受賞。
ヤマハ音楽振興会、よんでん文化振興財団、岩谷時子 Foundation for Youth、宗次エンジェル基金、各奨学生。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学をアカンサス音楽賞、藝大クラヴィーア賞、同声会賞を得て卒業。同大学院修士課程を大学院アカンサス音楽賞、藝大クラヴィーア賞を得て修了。現在、同博士後期課程。これまで黒田淑子、大山まゆみ、勝郁子、堀江真理子、杉本安子、青柳晋、菊地裕介、ジャック・ルヴィエ、海老彰子、小倉貴久子の各氏に、フォルテピアノを小倉貴久子氏に師事。