一つの「うた」の主題から、大きな宇宙が生まれる。
すべての人に 心の慰めを ──
秋元孝介とゴルトベルク変奏曲BWV988
ゴルトベルク変奏曲について、
事典を引けば以下のような記載がある。
ゴルトベルク変奏曲ーアリアおよび30変奏曲
Goldberg Variations, BWV 988
曲の原名は「二つの鍵盤を有するクラヴサンのためのト長調アリアによる30曲一連の変奏曲」であるが、バッハのパトロンであったカイザーリンク伯がたまたま不眠症に悩んでいたので、ゴルトベルク(クラヴサン奏者)と図ってこの曲を作曲し、演奏したところ、殿はたちまち病の軽くなるのを覚え、バッハには黄金のカップと百ルイ金貨を満たした煙草入れを与え、謝意を表したという。以後、この曲をゴルトベルク変奏曲と呼ぶにいたった。
この曲の主題は「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」の中の「激われとともにあれば」の歌につづくサラバンドである。
※引用:クラシック音楽鑑賞事典(著:神保 ケイ一郎)
上記の逸話を辿ると、バッハにとって「安らかな眠り」とは何を意味したのだろう。
ただただ静かなヒーリング音楽のような曲調ではない。
約80分、全30変奏のなかには緩急の変化や感情のさまざまな変化がある。
しかし、聴き進めていくうちに、不思議と心身に安らぎが訪れてくるのだ。
それは、この作品が単なる「静」ではなく、さまざまな感情や想いを包み込み、昇華させるような力を持っているからではないだろうか。
例えば、喜び、悲しみ、怒りといった感情が複雑に絡み合いながらも、最終的には一つの調和へと導かれるような。
早過ぎたり、遅過ぎたり
焦ったり、落ち込んだり
喜んだり、悲しんだり
そういう「すべて」を包み込み、寄り添いながら歩いてくれるのが、この作品の不思議な魅力ともいえるのではないだろうか。
バッハ自身が「心の慰め」と表現していたことにも頷くことができる。
この年末にゴルトベルク変奏曲を弾く、聴くという企画はすでに7年目となる。
一生涯で一度も演奏会で弾くことがない演奏家も多いなか、この作品に出会い、意思を持って取り組み、聴き手と分かち合うということ自体が、何か神秘的なことである。
そして、これほどの作品なのだから、毎年、相応しい名手が挑戦するのだが、今年は秋元孝介氏がその挑戦者となる。
秋元氏が高校2年生のとき、初めてヨーロッパを訪れた彼は、自分へのお土産にと手に取った楽譜がこの「BWV988」だったそうだ。
この出来事は運命的な何かを感じざるを得ない。
葵トリオでも大活躍中の秋元孝介氏のピアノは、作品を非常にバランス良く立体的に構築していく。
まるで建築士のように全体の構造を緻密に設計し、職人のように、細部まで丁寧に音を作り出す技は見事というほかはない。
さらに、客観と主観を持つ音楽家の耳と、作品の本質を捉える真の知性によって明らかとなる解釈には絶大なる説得力がある。
緻密さのみならず、自由で伸び伸びとした美しさは快演そのもの。
そうした彼の多面的な特筆すべき特長によって紐解かれるバッハのゴルトベルク変奏曲 BWV988は、混乱、緊迫、さまざな騒動に明け暮れた世情の2024年を締めくくる師走にふさわしい、当サロンでしか体験することのできない、かけがえのない“昇華”の機会となるのではないか。