静岡市出身。東京芸術大学音楽学部ピアノ科卒業、同大学院研究科修了。文化庁海外派遣研修員として、パリ市立地方音楽院とパリ国立高等音楽院修士課程でピアノ伴奏を学ぶ。
高瀬健一郎、寺嶋陸也、辛島輝治、迫昭嘉、A・ジャコブ、J−F・ヌーブルジェの各氏に師事。
「静岡の名手たち」オーディションに合格。神戸新聞松方ホール音楽賞、青山バロックザール賞を受賞。
日本人作曲家の作品を蘇らせたCD「日本のピアノ・ソナタ選」(MTWD 99045)、また「ゴルトベルク変奏曲」(MTKS-18341)のソロ録音CDがある。
2011年デビューリサイタルを開催。以後も、ドビュッシーのエチュード全曲など、意欲的なプログラムでリサイタルを行う。
2021年には東京文化会館にてジェフスキの「不屈の民変奏曲」他によるリサイタル(日本演奏連盟による主催)を開催。
2022年のバッハの「ゴルトベルク変奏曲」演奏会が、第32回青山音楽賞を受賞した。
現在、 幅広いジャンルで活動中。オペラシアターこんにゃく座のピアニストを2018年より務める。東京、渋谷の美竹サロンにて、「バッハを辿る」コンサートシリーズを継続中。
日本演奏連盟会員。
公式ホームページ:https://shunirikawa.work/
バッハ、リゲティ、カプースチン
ピアノの無限の可能性を極める、練習曲の系譜がここに結集!
至高の「面倒さ」
「インヴェンションとシンフォニア」…この曲集については、「バッハを辿る」シリーズの中でいつかやりたいとずっと思っていました。バッハの鍵盤楽曲中で、おそらく最も学習者の手に取られたことのある曲集でしょう。ピアノのお稽古の課題として取り組んで、ピアノの練習が嫌になってしまった、という不幸な思い出と共に残っている曲集かもしれません。
私もこの曲集をやっていた頃、バッハの作品ってなんて面倒臭いんだろうと思いながら練習していました。そして、その頃と比べて譜読みは随分できるようになっても、バッハの音楽はなおそのような思いを抱かせるものです。
なぜバッハの音楽が面倒なのか。それは彼の音楽が、シンプルな素材をもとに編まれたものだからではないでしょうか。シンプルなことを十分に表現するのは、時間のかかることです。たった見開き2ページの音楽の中には、シンプルなたたずまいから無限の宇宙に匹敵するような世界が広がっている。まさに音楽の奥深さを感じさせてくれるものなのです。しかしこの曲集を学んでいた頃は、その奥深さまでいまひとつ届かないところで終わっていた…。この音楽を理解することを面倒臭がっていたのだと思います。今、改めてインヴェンションに取り組むことは、前よりももう少し深みへ、バッハの音楽の魅力を発見することにつながるかもしれません。
バッハには「面倒」という言葉よりも、「根気強さ」の必要な音楽、という言葉が似合いそうです。
J.S.バッハ(1685〜1750)の「インヴェンションとシンフォニア」という曲集は、まさに練習曲としての風格を持つ作品と言えます。この作品は、もともと息子であるヴィルヘルム・フリーデマンのために書かれた小品が、その原型となっていますが、それによって息子が熟達をしていくのを見ながら、バッハは、これを更に自分の弟子たちの教育にも活用できないか、と考えたのでしょう。2声の対位法作品が15曲と、3声のものが15曲、併せて30曲を、ひとつの曲集とすることにしたのです。
この曲集には、バッハ自身による巻頭言が付されています。
率直なる手引、これによってクラヴィーア愛好者、ことに学習に意欲を燃やす人々が、(1)2声部をきれいに演奏することを学ぶだけではなく、さらに上達した段階で、(2)3声部のオブリガード・パートの処理を正しく立派に行う明確な方法が示され、あわせて同時に良い着想を案出するのみでなく、それを立派に展開すること、しかし何よりもカンタービレの奏法を身につけること、それに加えて作曲への強い興味と愛好を呼び覚ますことへの指針を掲げるものである。著作者J.S.バッハ、アンハルト=ケーテン候宮廷楽長。
この文章によって、この曲集の特徴は言い尽くされていますが、少し補足をすれば、バッハの時代、ピアノという楽器はほとんど生まれて間もない時期で、現在の楽器とは比較にならないほどの原始的なものでした。バッハの鍵盤(クラヴィーア)作品において、ピアノが念頭に置かれたとは考えにくいことです。
しかし、バッハの残した巻頭言から明らかなことは、この作品はあらゆる鍵盤楽器の愛好家、ないし学習者に向けられているということでしょう。2声部、更には3声部の「ポリフォニー」を、きれいに演奏すること、「うたう」ことを身につけること、そして良い着想(Invention)をこの曲たちから導き、やがて自ら作曲をする際に役立てること。つまりこれは、指のための練習であり、さらには「よい音楽を演奏するための」練習曲ということができます。
2声/3声のそれぞれ15曲が、また多彩な内容を見せ、ひとつとして同じような楽曲は見当たりません。1曲1曲は1,2分のものでありつつも、バッハの会得していた音楽語法がすべて注ぎ込まれている、非常に贅沢な曲集と言えるのです。
現代ではピアノ自体がバッハの頃とは比較にならないほどの進化を見せ、それに準じて音楽も演奏技術も多様化の一途を辿っているので、バッハがこの曲集で意図したことは、地味なものかもしれません。しかし、この小品の持つ慎み深さに今一度耳を澄ませば、そこには何者にも代えがたい音楽の泉が現れるのです。
「インヴェンションとシンフォニア」の曲の配列は、第1番ハ長調から始まり、C-c-D-d-Es-E-e-F-f-G-g-A-a-B-h(ドイツ読み、大文字と小文字は長調/短調)というように、1音づつ上行していく順となっていますが、もともとバッハの息子ヴィルヘルム・フリーデマンの音楽帳に収められた《初版》といえるものではC-d-e-F-G-a-h-B-A-g-f-E-Es-D-c と、ハ長調から上行し、ロ短調を境に下行する順番となっていました。これは恐らく、演奏の難度などを考慮して当初は配列されていたのでしょうが、その後バッハがそれぞれの曲に手を加えたりする中で、最終的な曲順となったと考えられます。
本日は、私自身も久々にインヴェンションに「入門」するということで、2声と3声のそれぞれ10曲、比較的簡明な内容を持っているインヴェンションとシンフォニアを演奏します。
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ハンガリーの作曲家ジェルジ・リゲティ(1923〜2006)は、現代音楽の大作曲家のひとりです。その音楽は、非常に複雑な音組織、ハーモニーとリズムで書かれており、演奏者に過酷な要求を突きつけてくるもので、その姿にはバッハというよりも、むしろベートーヴェン的な印象を抱かせます。ただ、その先鋭さによって「前衛」という言葉で片付けられてしまうには、非常に惜しい面があり、少しでもその音楽の仕組みが理解されれば、より面白く聞けるのではないかと思います。
リゲティの音楽には、様々な音楽、それもクラシック音楽のみならず、ジャズ、ロック、民族音楽からの直接的な影響があり、また絵画や数学的概念からの発想もあり、実に多種多様なアイデアに満ちています。
リゲティの代表的な作品に、「100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック」というものがありますが、これは、100台のメトロノームが同時にそれぞれ異なるテンポで稼働し、当然その最初には聞き手の知覚できない状態であったのが、やがてねじの切れたメトロノームが1台停止し、その数が増えるにつれて、無秩序であったテンポが周期性を持って聞き取られるようになってくる、という作品です。このように、リゲティの音楽には、「機械性」がキーワードになることが多く、そこではルバートや、感情などの「人間的な」要素が、排除されたり、または非常なコントロールの下に置かれることが多いように思われます。
1970年代に、メキシコの作曲家コンロン・ナンカロウが創作していた「自動演奏ピアノのための習作」という作品群があります。これは、人間によっては演奏不可能なテクスチュアを、打ち込みによる自動演奏で再現したもので、リゲティはこの作品に触発されて、ピアノのための「エチュード」を創作していったといいます。エチュードの中にも、自動演奏ピアノで演奏されるバージョンを持つ曲もあり、人間と機械の表現できる範囲についてもこの作品は問いかけているようです。
まさに、SF映画で、ロボットが人間を支配するような時代=「現代」でしか生まれなかったような音楽なのですが、この創作背景には、リゲティ自身も過ごした世界大戦での経験、というのも関係しています。死と生が隣り合わせの、非人間的な生活というのは、精神を極限まで蝕むものでした。そうした面が、この過酷なエチュード集から垣間見えてくるようです。
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ウクライナの作曲家、ニコライ・カプースチン(1937〜2020)は、ジャズとクラシックを融合させた、独自の作風で、現代のクラシック音楽の世界に新風を吹き込んだ作曲家です。
カプースチンの音楽は、リゲティなどの「難解な」現代音楽とは一線を画し、聞きやすい音楽ですが、一聴すると、とてもこれが譜面に書いてあるものとは思えないほど、ジャズ的なビート感やハーモニーにあふれています。しかしより重要なことは、それらのジャズ的イディオムを駆使しながら、クラシックの堅固な構成力を備えた楽曲が完成した、ということなのです。
本日演奏するエチュードは、どれも分析すると、可笑しくなるほどクラシックの規則に則って書かれ、伝統的な形式美を備えた楽曲です。つまり、譜面に記されていないように見える音楽でありながら、実際は譜面でしか表現されようのない音楽となっている。一見、ジャズ的な風情を持っているけれども、これは紛れもなくクラシック音楽、しかも非常にアカデミックな類のものだと思います。
カプースチンは、モスクワ音楽院のピアノ科を卒業しているし、もともとはクラシックの畑の人物でした。音楽院卒業後は「ジャズ」の世界で活動を繰り広げるのですが、それでも、根っからの「ジャズマン」というわけではなかったでしょう。
ジャズ、というのは、ある意味では、より前衛性をまとうジャンルであり、プレイの中でそれまで持続してきたものを断ち切ったり、積み上げたものを破壊するような感性も重要な面があると思うのですが、カプースチンにはそうした面はほとんどないように見えます。彼は、そういう乱暴なことはできなかった。提出したあるフレーズの記憶が、最後まで途切れずに、音楽の集中を持続させていくこと、そのような方法で音楽を作ることが、彼の元来からの素質だったのです。それが最大限発揮されるのが、ソナタ形式や、フーガや、変奏曲など、クラシック音楽の「王道」に位置する楽曲だったのです。
「エチュード」というのは、便利な言葉です。リゲティの場合も、カプースチンの場合も、全く異なる状況下でありながら、彼らの表現を十分に汲み取ることのできる言葉なのですから。
バッハが自分の作品に名付けた「インヴェンション」や「パルティータ」、また「平均律クラヴィーア」というタイトルさえも、現代では「エチュード」と置き換えられるのではないでしょうか。
(入川 舜)
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