ベートーヴェンを邦人作品から紐解く──
あまりに意外で、あまりに前衛的な提案!
「ベートーヴェンとは、どんな人物だったのだろう?」
ベートーヴェンに関する逸話は、
数々の伝記や書物に記載されている。
しかし、そういった前提を踏まえたとしても、「
ベートーヴェンとはどんな人物だったのだろう?」
という疑問が生まれてしまうのは、その作品が、時空を超えて、
多くの人々の魂に響きわたるほどに、
あまりに偉大なる音楽だからではないだろうか。
そんなベートーヴェンに深く感銘を受けている二人の日本人演奏家
が、
10曲のヴァイオリンとピアノのためのソナタ全曲への挑戦を、
今まさに、新たな切り口で提案しようとしている
── ヴァイオリニスト
石上真由子氏とピアニスト江崎萌子氏である。
二人は互いを最高のパートナーと認め、まるで「
同じ血が通っている者同士で音楽作りをしているようだ」
と自負するほど、
さまざまな面で恵まれている奇跡的なデュオだと思う。
室内楽の常設のグループでは、カルテットは多く見かけるが、
デュオという最少単位で深く取り組んでいくことで、
アンサンブルが可能な究極のユニットである。
二人はすでにベートーヴェン、シューマン、
ブラームス全曲に挑戦しており、今回、
改めて取り組むベートーヴェン全曲では“
ベートーヴェンの革新性”にフォーカスした、
斬新で幅広いプログラムで展開する予定である。
クラシック音楽の経緯が大きく革新してしまったといえるほど、
ベートーヴェンの存在は、商業音楽と非商業音楽(芸術音楽)
の分岐点ともなっている。
彼の音楽における革新的な試みは、
後の音楽に大きな影響を与えたにもかかわらず、
そうした彼の主張にフォーカスした企画は、
意外と少ないように感じる。(渋谷美竹サロン)
ここで、二人に全曲に取り組むに至った経緯について、
インタビューした内容の一部をご紹介したい。
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ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、初期から中期にかけての作品群ですが、全体を通して彼の革新的な挑戦が感じられます。
まず、形式についてですが、モーツァルトやハイドンの時代のヴァイオリンソナタは、ピアノが主役で、ヴァイオリンがそれに寄り添うような構成になっていました。
しかし、ベートーヴェンは、この従来の形式を打ち破り、新たな試みを重ねて、音楽史に新たな章を開きました。
初期のソナタである第1番から第4番までは、当時のスタイルを踏襲しています。特に、Op.12の3曲では、ピアノのソロ部分が多く、まるでピアノ協奏曲のような華やかなピアノソロ(カデンツァ)が随所に散りばめられています。これは、ベートーヴェン自身がピアノを演奏することを想定して作曲していたためと考えられ、彼の技巧を誇示したいという意図が感じられます。
そして有名な第5番『春』で、ようやくピアノとヴァイオリンが対等になって書かれるようになります。しかし、当時では革新的だったと思いますし、第5番というのは、ベートーヴェンにとっては挑戦であり、節目の作品だったと思います。
曲の長さからも、ヴァイオリンとピアノの関係性からも、本腰を入れて作曲したということがわかります。
そして、そこからどのようにして二つの楽器で対話をしていくのか、アンサンブルをどのように展開していくのか、という試行錯誤をしていく旅が、第6番〜第8番まで続きます。
第6番から精神性が一変します。不思議なことに、何となく、第10番を予感させます。
そして大曲、第9番『クロイツェル』は、ベートーヴェンの中期の作品ですが、調和を志向しながらも、二人が対立し、互いに拮抗するようなイメージが浮かび、型破りな挑戦を感じさせられます。
何か、ヴァイオリンとピアノという関係を超えた音楽になっており、それでいて未完の物語のような、終わりのない探究の雰囲気が漂っています。
そして私たちが一番好きな第10番。
この第10番から、ベートーヴェンの音楽表現が、新たな境地を切り開いていったように感じられます。
第2楽章の変ホ長調は、彼の緩徐楽章によく使われる調性ですが、そこには、ベートーヴェンの剛直なイメージだけでなく、彼の中で収まりきらないほどの慈愛や人類愛を超えた、なにか大きな愛のようなものが、彼の音楽の中に表れています。
このように、10曲を通してヴァイオリンソナタの在り方が変化していく様子が、ヴァイオリンとピアノの関係性や形式の変化からも伺えます。
さらに、全曲に挑戦するからこそ見えてくるベートーヴェンの真の姿というものが、浮かび上がってきます。彼はとても人間らしく、ユーモラスで、深い愛に溢れた人物だったと思います。
彼の遺書を読むと、心から世の中が良くなることを願っていたことがひしひしと感じられ、その深い人間愛に心を打たれます。
現代では、戦争に関することまでも、SNS等で気軽に発信することで表現できてしまいますが、あの時代に、わざわざ文章化して、人間愛や平和を訴えている人間というのは、希少な存在だったと思います。
単なる隣人愛ではなく、手の届かない人や近くにいない人に対しても、全人類に向かって発信していたことが伝わってきます。
ヴァイオリンソナタ10曲では、各ソナタを1曲ずつ聴き込んで行くことによって、ベートーヴェンの音楽をより深く感じることができるのではないでしょうか。
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、一曲一曲が大きなドラマを秘めていますので、他の作品と組み合わせても存在感が薄れるということはありません。
日本のクラシック音楽の歴史は、明治維新以降、西洋音楽が導入され、急速に発展してきました。
日本の作曲家たちは、西洋音楽の伝統を継承しつつ、独自の音楽言語を確立してきました。
彼らの作品からは、西洋と東洋の文化が交錯する中で生まれた、新しい音楽表現に対する強い意志を感じます。
ベートーヴェンが音楽を通じて世の中を変えようとしたように、日本の作曲家たちも、強い意志を持って音楽に取り組んできたのではないでしょうか。
彼らの作品に共通する、時代を捉え、新しい価値観を提示しようとする姿勢は、まさにベートーヴェンの志と重なるものがあると感じます。
私たち自身、日本人作曲家への委嘱も試みてみたいということも考えていますし、ベートーヴェンに倣い、音楽の新たな地平を切り開きたいと考えています。(石上 真由子、江崎 萌子)