入江一雄がショパンと向き合い、その「ルバート」の核心に迫る!
入江一雄のショパンが聴けるらしい。
昨年の秋、第19回ショパン国際ピアノ・
コンクールが大きな盛り上がりを見せ、
私たちは実に多様なショパンに出会うことになった。その経験は、
「ショパンらしさとは何か」「よいショパンの演奏とは何か」
を改めて考えさせる機会でもあった。
ショパンの音楽は、
一見すると情緒的でロマンティックに聴こえる。旋律は美しく、
歌心に満ちている。しかし、
ただ歌わせればよいというものではない。
旋律ばかりを強調してしまうと、
音楽を支える左手の秩序が失われ、
ショパンが求めたであろう均衡から外れてしまう。
そうなると音楽はいつしか自己陶酔的なものへと傾き、
どこか落ち着かない違和感を残すこともある。
多様な解釈があってよい時代ではある。
さまざまなショパンがあってよいという考え方も、
もちろん理解できる。しかしその一方で、
作曲家の書いたものに真摯に向き合い、「ショパンとは何か」
を誠実に問い続ける演奏に出会うと、
やはり心を動かされるものだ。
入江一雄の演奏には、そうした誠実さがある。
バッハ、ベートーヴェン、プロコフィエフ、ラフマニノフ——
彼がこれまで取り上げてきた作品でも、
常に音楽の構造を見据えながら、
その内側にある詩情を丁寧に浮かび上がらせてきた。
派手な身振りで聴き手を圧倒するというよりも、
作品そのものが持つ力を磨き上げられた形で静かに立ち上がらせる
、まるで作品の内部にいるかのような立体的な演奏である。
今回取り上げるのは、ショパンの《バラード》と《スケルツォ》
の全曲。いずれもショパンの作品の中でも特に劇的で、
詩的な世界が濃密に凝縮された作品群である。旋律の美しさ、
激しい情熱、そして精巧な構造が共存する、
ショパンの精神がもっとも鮮やかに現れる音楽と言ってよいだろう
。
入江一雄のショパン、
と聞くと少し意外に感じる人もいるかもしれない。
しかし以前のインタビューには、
それを裏づける興味深い言葉が残されている。
ショパンの音楽には「ルバート」と呼ばれる独特の呼吸がある。
左手は静かに時を刻みながら、右手は自由に揺れ動く。
しかし音楽全体としては、決して時間が崩れるわけではなく、
ひとつの大きな流れの中に保たれている——。
ショパン演奏の核心とも言われるこの感覚を、
入江氏は師であるヴィルサラーゼ女史のもとで実感したという。
彼女の演奏では、
声部がまるで別々の人格を持つかのように独立して響き、
三つの声部があれば三つの声がはっきりと聴こえてくる。
そのとき音楽は単なる旋律の連なりではなく、
立体的な空間として立ち上がる。
そうした体験は、
入江氏のショパン観を形づくる大きな手がかりとなったようだ。
ショパンの詩情と構造。その両方が、
入江一雄のピアノによってどのように立ち現れるのか。
それを確かめるには、実際に耳を傾けてみるほかない。
コンクールでは味わえない、《バラード》と《スケルツォ》の全曲
というプログラム。「全曲」
で聴くことができるという点にも、
彼の音楽に対する誠実さが表れているように思う。
この貴重な機会を逃すわけにはいかないだろう。