パガニーニからピアソラ、そしてケルトの彼方へ──
異国情緒の香り漂う、ヴァイオリンとギターの音世界。
ヴァイオリンとギター。
なんとも洒落た、そして少し挑戦的な組み合わせである。ヴァイオリニスト・鈴木舞とギタリスト・大萩康司の記念すべき初共演が、美竹の空間に響き渡る。
ふたりが繰り広げるデュオの世界には、知性と情熱、そしてある種の「粋」がある。
大萩康司は、20歳の若さで世界最高峰とされるハバナ国際ギター・コンクール第2位という華々しいスタートを切り、一躍注目を集めた。
以来、独自の感性と高い音楽性で“クラシック・ギターの顔”として走り続けている。
2000年に『11月のある日』でCDデビューして以降、クラシックギターのソロ作品から室内楽、現代音楽、さらにはジャンルを越えたコラボレーションまで、幅広いレパートリーを展開してきた。
これまでに20枚を超えるCDと2枚のDVDをリリースしており、その活躍ぶりはまさに実績として明確に示されている。
その音は、凛としていて、しなやかで、いつも余韻に物語がある──ジャンルを超えて、国内外で熱狂的な支持を集めるギタリストである。共演するのは、美竹ではお馴染みのヴァイオリニスト・鈴木舞。
まっすぐで潔い音、芯の強さと繊細さが同居した演奏家である。
彼女の強さは、単に音が力強いということではなく、その背後に「なぜこれを語るのか」という確かな理由を携えた思考の深さと、表現に対する責任感に裏打ちされている。
そして彼女の選ぶ共演者には、常に審美眼が光っている。
今回、その「目利きの舞さん」が選んだのが大萩康司であるというだけで、もう聴く価値は十分にある。
選ばれた作品もまた、旅のようである。
まずプログラムの幕を開けるのは、あのパガニーニ。
ヴァイオリンの名手として知られる彼だが、実はギターという楽器を深く愛していたことは、多くの文献にも記されている。
ヴァイオリンとギターのために書かれた《デュオ・コンチェルタンテ》には、まるで貴族のサロンで交わされるウィットに富んだ会話のような魅力がある。
技巧的な見せ場に満ちていながら、音楽が生きた会話のように躍動し、どこか秘密めいていてチャーミング。
ふたりの演奏が、あの“間”の妙をどのように操るのか、興味が尽きない。
そこから南米へと飛ぶ。ピアソラの《タンゴの歴史》。
これは、単なる「タンゴ名曲集」ではない。
タンゴが街角の音楽から芸術音楽へと昇華していく過程を、物語として描いた作品である。
ギターとヴァイオリンという編成が、その語りにこのうえないリアリティを与える。
鈴木のヴァイオリンが、時に男性のように力強く、時に女性のように艶やかに語りかけ、大萩のギターがそれを深く支えながら、ふいに“あの空気”を運んでくる──ブエノスアイレスの黄昏に漂う、情熱と哀愁の混じった空気を。
バルトークの《ルーマニア民俗舞曲》は、民謡の旋律がもつ呪術的な力を、短い時間のなかに凝縮させた名品である。
これは音楽というより、もはや“現地の空気”そのもの。
バルトークは録音機を担いで農村に赴き、暮らす人々の歌を採集・記録した。
彼の楽譜には、土地の声がそのまま息づいている。
その旋律は、整ってなどいない。
ねじれ、きしみ、土と汗の匂いがする。
最後に演奏されるのは、加藤昌則の《ケルト・スピリット》。
現代の作曲家が、ケルトという遥かな記憶のような文化を、どのように音にするのか。
この作品には、日本人の“遠い郷愁”のようなものが宿っていると感じる。
そしてそれを紡ぐのが、鈴木という芯のある詩人のようなヴァイオリニストと、大萩という品格ある語り部のようなギタリストなのだから、期待せずにはいられない。
異国情緒──
それは他者の文化を眺める言葉であると同時に、自分の内部にまだ知らぬ「異郷」を見出すことでもある。
世界各地の音楽が、鈴木舞と大萩康司の手によって、時空を越え、美しく呼吸しはじめる。
クラシックファンはもちろん、普段あまり生演奏を聴かれない方にも自信をもっておすすめできる音楽の旅。
今夜、聴く者をそれぞれの「遠く」へと連れ出してくれるだろう。(渋谷美竹サロン)