ベートーヴェンが辿り着いた神との対話──
第7回「いずこへ」は、作品31として出版された3つのピアノ・ソナタ(第16番、第17番、第18番)と、第31番作品110を組み合わせました。どちらも「31」の数字を持った作品という共通点があります。31は太陽暦における「大の月」の日数であり、少し特別な数字と言えるのではないでしょうか。奇しくも、ベートーヴェンが作品31を作曲したのは、彼が31歳の時でした(これは「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた歳でもあります)。この作品31は、多様性に富んだ3曲のソナタが組み合わされています。作品31-1(第16番)は古典的ながらも機知に富み、溌剌としたソナタ。作品31-2(第17番)は、冒頭から主和音ではなく属和音から始まるなど、刺激的な新しい作曲様式を取り入れながら、聴衆を幻想の世界に誘います。作品31-3(第18番)では、冒頭を主和音でも属和音でもなく、サブドミナントで始めるなど、ソナタの様式にさらなる革新をもたらします。作品31は、難聴の絶望に苛まれ、死を意識しつつ書き上げたとは思えぬ野心作揃いです。
そして第31番。前作第30番が「自然との対話」であるとしたら、この第31番は「神との対話」と言えるでしょう。このソナタでは、ベートーヴェンは正面からフーガに対峙しています。教会音楽の手法を用いて、神に向き合おうとした表れのように感じます。また、装飾的なパッセージの感受においては、前作が地球から見上げた星空とすれば、今作は宇宙空間そのもの、天体の永い時と星屑の浮かぶ無重力空間に、私自身も浮かぶような心地がします。
人の世を離れたベートーヴェンの音楽は、いずこへ向かうのでしょうか。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ演奏会シリーズもあと2回。最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
ベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏に向けて
ベートーヴェンのピアノソナタを弾くと、心が洗われるように思います。200年ほど前に書かれたにも拘らず、今でもさまざまな発見に満ちています。
弾く度に、聴く度に、新しい。作品を「読み直す」ことによって、生きた息吹が通い、新鮮な感動が生まれます。
さらに、ベートーヴェンのソナタは、作品内でも作品相互間においても複雑な相関関係を持ち、互いに注釈し合っています。そのため、従来に多い時系列順の全曲演奏ではなく、私独自の視点からプログラムを組みました。
これまでにない分析を演奏に生かすことを試みたいと思っています。
このような意義深く記念碑的なベートーヴェンのピアノソナタの全曲を演奏させていただくことに至福の思いを抱いています。
親密な空間のサロンで行うことで、聴衆の方も作品に積極的にアプローチしやすくなり、作品に「参加」していただけるのではと思いを込めています。
(鐵 百合奈)
本公演は、2021年10月3日(日)に開催を予定しておりましたが、開催日を変更いたしました。
詳しくはこちらをご確認くださいませ。
プロフィール
鐵 百合奈(TETSU Yurina)Piano
2019年、N&FよりCDデビュー。2021年には2枚目のCD「シューマン」をリリースし、「レコード芸術」で準特選盤、毎日新聞や「音楽現代」などで特薦盤、推薦盤に選ばれる。
2019年よりベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏シリーズを開催、NHKからドキュメンタリーが放映される。
多くのリサイタルを開くほか、読売日本交響楽団、東京交響楽団、広島交響楽団などオーケストラとの共演も多い。
第86回日本音楽コンクール第2位、岩谷賞(聴衆賞)、三宅賞。第4回高松国際ピアノコンクール審議員特別賞。第20回日本クラシック音楽コンクール高校の部第1位、グランプリ。第11回大阪国際音楽コンクール、第14回ローゼンストック国際ピアノコンクール、各第1位。 2015年、皇居内桃華楽堂において御前演奏を行う。2017年度香川県文化芸術新人賞受賞。
ヤマハ音楽振興会、よんでん文化振興財団、岩谷時子 Foundation for Youth、宗次エンジェル基金より、奨学金の助成を受ける。
学術面では、論文「『ソナタ形式』からの解放」で第4回柴田南雄音楽評論賞(本賞)を受賞、翌年「演奏の復権:『分析』から音楽を取り戻す」で第5回同本賞を連続受賞。
東京藝術大学附属音楽高等学校、同大、同修士課程、同博士後期課程を修了、論文「演奏解釈の流行と盛衰、繰り返される『読み直し』:18世紀から現在に至るベートーヴェン受容の変遷を踏まえて」で博士号を取得。2020年より桐朋学園大学院大学専任講師に就任。