すべてをそぎ落とした真の音で紡ぎ出す、バッハの人生とも言える"音楽"を今ここにあらわす──
バッハとわたし、そして"ゴルドベルク変奏曲"のこと
僕が初めてバッハのゴールドベルク変奏曲に出会ったのは中学生の時でした。僕は決して早熟な子供ではありませんでしたから、この長大な作品をしっかりと理解しながら聴き通していたわけではありませんでしたが、でも日常の中のBGMの一つとして、ある部分はただただ聞き流してしまいながらも、しかしある部分にはハッとさせられる魅力を感じて、じっくり耳を傾けたりしたわけです。演奏は、よくあるグールドの晩年のそれではなく、このサロンの名誉顧問でもあります横山幸雄先生のものでした。
それから10年以上の月日が流れた今、バッハのゴールドベルク変奏曲、という字面を前にした時、どうしても身構えてしまう自分がいます。しかしでは本来、数あるバッハの鍵盤曲の中でゴールドベルクだけが特別に崇高なのか、と言われれば…そう捉えるべきではないのだろうと考えています。彼の他のいくつかの音楽もまた、遥か遠くに望む大岳のように高潔でありますし、また一方で、特にここ数年でバッハの音楽に多く触れる中で感じたのは、彼の音楽はある種の完璧さを称えながらも、充分にフレンドリーで、日々あくせくと不甲斐なさを積み重ねながら生きる私たちに、大らかな許しを与えてくれるものだということです。
幼い頃、「1番好きな作曲家は誰?」と訊かれて「バッハ!」と気軽に答えていた自分がいます。今でもバッハは僕の最も好きな作曲家のひとりであることは疑う余地がないのですが、例えば同じく大好きなラヴェルやショパンのことを、おこがましくもある程度は"分かる"と言えてしまうのに対し、バッハのこととなると、その存在の大きさ故に、言及するのを少しためらうようになってしまった自分がいます。
いつの日かまた「バッハ!」と無邪気に答えられる自分を夢見て、今回のゴールドベルク変奏曲にも、等身大の自分で取り組めたらなと思っています。皆様もどうか是非、気負わぬ気持ちで、この傑作を聴きにいらして下さい。
(務川 慧悟)