華やかさや技巧の誇示ではなく、音楽の“呼吸”そのものに耳を傾けたくなる——
そんな演奏に出会える機会は、実はそう多くない。尾城杏奈のピアノには、聴く者の内側にそっと語りかけるような、詩情の気配がある。
それは決して感情過多な演奏というのではなく、むしろ一音一音を丁寧に慈しみ、音楽の自然な流れを大切にする静かな信念に支えられている。
彼女の演奏には、押し出しの強さや過剰な表現はない。
だが、どんな作品でも自身のペースを乱すことなく、静かに音楽の本質に向き合っていく姿勢が、聴き手の心にじんわりと染み入ってくる。現在、尾城はエコールノルマル音楽院に奨学生として在籍している。
今回は、現地パリでの研鑽のなかで見出した、パリで作曲された作品を中心にプログラムが構成された。
サロン文化の中心地であったパリの香りを、そのままサロンという空間に再現するような一夜になるだろう。惜しくも本大会出場は叶わなかったものの、先般のショパン国際コンクール予備予選での演奏では、とりわけショパン作品との親和性が際立っていた。
形式美や語法を損なうことなく、ナチュラルな歌い口で描かれるショパンは、若き日の作品に宿る“純度の高い抒情”を見事に引き出していた。ふわっとした柔らかな雰囲気に、どこか天然で人懐っこい彼女の人柄は、そのまま演奏にも滲んでいるように思える。
無理のない呼吸、気負いのない表情、どこまでも誠実な音作り──聴いているうちに、こちらも自然と肩の力が抜けていき、ただ「音楽のそばにいる」ことの豊かさに気づかされる。静けさの中に詩があり、落ち着きの中に深い熱がある──尾城杏奈の演奏を、ぜひサロンという親密な空間でご体感いただきたい。(渋谷美竹サロン)