佐藤彦大さんの魅力を語り始めたら、とめどもなく出てきてとまらなくなってしまいます。
特にプロのピアニストさんからの評価が高く、真の実力派のピアニストといえるでしょう。
佐藤さんの噂は時おり耳にしてきましたが、実際の生演奏に間近にふれたのは、昨年の美竹清花さろんでのことでした。
そのときの、ピアノに自由自在に合わせてすばらしい音・響きを引き出す佐藤さんのやり方に驚きました。
しばらく音だしをしていたかと思うと、さまざまな曲を弾き始め、
「このピアノはモーツァルトの魅力をうまく引き出すことができますね、、、、あっ、ベートーヴェンもいいですね、、、ベートーヴェンではこんな感じに鳴ってくれますね、、、、ああ、シューベルトもいい、、、、、シューマンでは、、、、ショパンでは、、、、と、、、、、」
と、ピアノを操り、ピアノに内在しているポテンシャルを自由自在に引き出す魔法のような佐藤さんの技倆に衝撃を受けました。
それはまるで、イヴリ・ギトリスの初来日で受けた衝撃と同様のものでした。ギトリスの演奏では、ギトリスがあまりにもヴァイオリンを自由自在に手玉にとって扱う様に、ある種の怖さまでを感じたほどでしたが、佐藤さんのピアノの扱いでは、そのときの印象がダブって蘇ってきました。
それ以来です。
いつか佐藤さんのベートーヴェンを聴きたい、シューベルトを聴きたい、ショパンを聴きたい、
ベートーヴェンだったらまず三大ソナタを聴いてみたい、そんなふうに考えてきました。
そして今回、ついにそれが実現しました。ベートーヴェンの三大ソナタは、数多くの名手、巨匠が採り上げ、すぐれた録音も遺されています。
しかし今この日本で、わたしが間近に聴いてみたいとしたら、佐藤彦大さん他、数人に絞られてしまいます。
佐藤さんは、ロシアの巨匠ヴィルサラーゼの薫陶を受けていますが、前回の演奏会では、そのヴィルサラーゼ風の流儀(特に左手、特にショパンで)に驚嘆しました。
さて、とにもかくにも、美竹清花さろんで初となる佐藤彦大さんの演奏によるベートーヴェン三大ソナタの演奏会が開催されました。
人生には設計図のようなものがあるといいます。人間生まれて来る前に、その設計図を描いて生まれてくるのだそうです。確かに、多くの方がそうした説にふと思い当たる事実があるのではないでしょうか。佐藤彦大さんは、きっとピアニストになるという人生の設計図を描いてこの世に生まれてきたのでしょう。それは以下のインタヴュー記事の引用した部分からも感じられます。
(以下、インタヴュー記事からの引用)
━━ ご自身が演奏家として生きて行こうと思ったきっかけは何ですか?また、もしピアニストにならないとしたらどんな自分の姿を思い浮かべることができますか?
佐藤:うーん、それは超むずかしいですね!もともと小学2年生のとき、短冊に「ピアニストになりたい!」って書いていたんですよね。なので、ピアノを始めたときからピアニスト志望ではあったようですね。ピアノを習い始めたのも小学校2年生のときでした。
まさに、ピアニストになるべくして生まれてきたといっても過言ではない佐藤彦大さんですが、そんな彼の演奏に触れるたびに、その音楽的魅力に驚きを隠せなくなります。
モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェン、ショパン、リスト、ラフマニノフ、いずれを演奏しようとも、それぞれの作品の良さと、それぞれの作曲家の個性が、その精緻なタッチによって明らかにされます。
今回の悲愴、月光、熱情は、ベートーヴェンのピアノソナタの特色がもっともあらわれているともいえる成熟した作品で、一般的にも大変に人気のある作品です。
そんな”THEベートーヴェン”という凄みがあらわれる今回のプログラムですが、このプログラムでも、彼の溢れるような音楽性がほとばしり、
まさに”圧巻”の一言。
“彦大さん”の名前のごとく、スケールの大きい、包み込むような音楽でありながら、
響きの美しさや、楽曲の緻密な構築、創造性…それらのバランスは絶妙です。
実に深く研究しつくされている演奏であることがひしひしと伝わってきます。
“佐藤彦大のベートーヴェン”にどんどん引き込まれていくと同時に、妙に、ベートーヴェンと佐藤彦大さんが共鳴しているのを感じ、それはなぜだろう、と考えていました。
ベートーヴェンは何よりも“気高く生きる”ということに執着した作曲家なのではないでしょうか。
ベートーヴェンは誰よりも(というよりも初めての音楽家=芸術家として)、自分が”今”できる精一杯のことを、追求し続けた音楽家(=芸術家)ではないでしょうか。
モーツァルトやハイドンまでとは異なり、音楽職人としての音楽家ではなく、
生きることと音楽と芸術とを三位一体のセットで一つに扱ってしまった初めての音楽家であり、
それがベートーヴェン以降に大きな課題、難問を引き継ぐことになります。
難聴に陥り、どんなに困難な状況だとしても、必ず生きていく意味があると、そう楽譜に描いているように感じます。
音楽を芸術に高めることに対して、強大なる意志・気力をみなぎらせ、内からの力を湧き出させていたとでも言ったらよいのでしょうか。
苦難に向き合い、誰よりも自問自答し、それを芸術の域にまで高めた音楽として具現した人がベートーヴェンという人物です。
ベートーヴェンのように自分の中に答えをみつける努力をし続けた人こそ、本当の意味での人生の成功者なのではないか、ふとそう思いました。
表面的な現象や善悪の観念などに振り回されず、物質的な豊かさや貧しさにも囚われることなく、地位名誉等にも関係なく…
このような強烈なメッセージは、生きる意味が見えにくく、刹那的な生き方に流されやすくなっているわたしたち現代人に、するどく、深く、重く、しかし温かく、やさしく、胸に突き刺ささってくるのではないでしょうか。
人間としてこれ以上はないくらいの困難、苦難に真っ正面から向かいあい、乗り越えてきたベートーヴェンだからこそ、彼の作品を聴いていると、勇気が湧いてきます。
そんな彼の作品では、決して“ごまかし”が効かないと思う箇所がたくさんあるように感じられます。
表面的にきらびやかな音で飾っても、本質的な意味でのベートーヴェンの演奏はできないのではないでしょうか。
ベートーヴェンの作品に求められる本質的な音、響き、そうした確固たる基盤の上で、「なぜこの音をこう弾くのか」といった疑問追究を通して、「初めてベートーヴェンを弾くことができる」といっても過言ではないような気がします。
佐藤さんは、明るくユーモアに富んでいて、好感の持てるパーソナリティの一方で、人には優しいですが、ご自身には厳しく、ご自身についてはとても謙虚でフレンドリーで、自分を飾るような言葉は、決して語られません。
そうしたお人柄からは、自分のなかに秘めたもの、乗り越えてきたものが豊かに息づいていることを、その音楽が語っています。
佐藤彦大さんの三大ソナタは、美しく、エネルギッシュに、凜と統率された渾身のベートーヴェンであり、
随所にベートーヴェンのダイヤモンドのような気高い精神の輝きが放たれていて、実に爽快でもあるベートーヴェンであり、
とにかく気持ちの良い、生きる力を与えてくれる心が洗われる貴重なベートーヴェンでした。
参加された聴衆の方何人からも、「毎年やってください!佐藤彦大さんのベートーヴェン三大ソナタ・プラスのシリーズを作ってください」とのお声がけをいただきました。
たしかに、これだけの演奏を間近に全身で体感することができる機会はすばらしいものだと思います。
つい最近のことですが、佐藤彦大さんのシューベルトを堪能することができる演奏会に行ってきたのですが、これも本当にすばらしいもので、ベートーヴェンだけでなくシューベルトの特集もぜひとも実現してほしいと希望している昨今です。
(2018年6月3日開催)
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