歌曲王と呼ばれたシューベルトの魅力とその人物像についてお話しを伺いました。
シューベルト研究者である佐藤氏からは、まるでシューベルトと親しい仲だったのではないかと思ってしまうほどの深い考察に驚き、
鋭い感性を持つ安達氏からは、歌曲を器楽で表現することの美学について、奏者ならではの視点でお答えいただき、興味深いものを感じました。
大好評につき第2弾となるヴィオラとピアノで紡ぎ出すシューベルトの歌曲の世界を、存分にお楽しみください。
2022年5月8日(日) 開演14:00
安達真理&佐藤卓史 オール・シューベルト デュオリサイタル
詳細・ご予約はこちら
<当日プログラム>
フランツ・シューベルト:
ガニュメート D544
音楽に寄せて D547
ます D550
五月の歌 D503
涙の賛美 D711
君は憩い D776
夕映えの中に D799
男はみんな浮気者 D866-3
『美しき水車屋の娘』D795より
2.どこへ?
6.知りたがり
7.いらだち
8.朝の挨拶
10.涙の雨
14.狩人
18.しぼめる花
19.水車屋と小川
「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲 D802
第一印象とのギャップ
スタッフお互いの第一印象と、共演してからの印象や意外だった一面などをお伺いできますか?
佐藤第一印象は、すごくサバサバした雰囲気の方なのかな〜と思ったのですが、共演を重ねていくと結構アーティスティックで、色々なアイディアや豊かな感性を持つ方だなぁと思いました。
安達おぉ、嬉しい(笑)
私の方は、佐藤さんってすっごい知的なイメージだったのですが(それは今も変わらないのですが)、思っていたより、ユーモアのある人だなと思いました。
良い意味でヨーロッパの人っぽいというか…おおらかというか、あまり小さいことを気にしないような、そこは意外でしたね!
佐藤はい。おおざっぱなのです(笑)
シューベルト音楽の本質
スタッフお二人にとってシューベルトの音楽はどのような存在でしょうか?その魅力を教えてください。
安達先生、短めにお願いします…(笑)
佐藤はい!
僕が一番本質的だなって思うことは、シューベルトの音楽って弱いところがあるんですよね。その”弱さ”というのが、聴く人にとっての弱いところに寄り添ってくれるというか…そういうところがすごくパーソナルなところですし、秘密の内緒話をしているような面白さがあると思います。大きな比較の対象として、ベートーヴェンの音楽がありますね。彼の音楽はすごく強いですし、何か演説しているような感じですよね!
「こうであって、こうである!」と何か訴えかけるような(笑)
一方でシューベルトは、何かこう寄り添ってきて「いや、実はこうなんだよね…」という風にひそひそ話をするような感じで…そこが本質的なところだなぁと感じます。
スタッフ“弱さ”というのはすごく納得します!たとえば、ブラームスとシューベルトの音楽から、どちらも”あきらめ”を感じるのですが、シューベルトの方は“弱さ”や“寂しさ”というものを感じます。ブラームスはどこか潔いイメージです。同じ”あきらめ”でも何か違いを感じていたのですが、その正体がわかりました。
シューベルトという人物
スタッフ音楽に深く関係していると思いますが、シューベルトとは、どんな人物だったと思いますか?
佐藤僕はシューベルトについてずっと研究してきたので、彼の人生について良く知っているんですよ。例えば何月何日に何があったとか…まで(笑)
一同 え〜!それはすごい!
佐藤なので何か、会ったことはないけれど、すごく良く知っている人のような感じがします。対人関係は、とても穏やかで引っ込み思案なところがあって、ヨーロッパの人にしては自己主張しない珍しいタイプなのですが、きっと、内面にはすごく表現したい欲求みたいなのがあって、それをどうやってみんなに伝えていくか…というのが彼のテーマだったのだと思うんですよね。なので、近しい友人からはすごくデモーニッシュに見えていたみたいです。ただ、人前に出ていくとそういうところをすごく隠したみたいですね。
スタッフたしかに。「魔王」であったり、ピアノ曲の「さすらい人幻想曲」なんかは、シューベルトには珍しく男性的な印象ですよね。
佐藤そうですね。そういう面が不意に出てきていたからこそ、そういったエネルギーが満ち溢れるような作品も遺されていますよね。
スタッフ本当は強い一面もあったのでしょうか…?
佐藤強いというか、何か内に秘めたマグマみたいなものはあったのでしょうね。
安達私は、音楽から受ける印象はシャイな人なんだな、と思います。ドラマチックにあっち行ったりこっち行ったりして…元々は結構、気性は激しめなのかな?と思われますよね。ただ、それを外には出さずに、割と取り繕っているタイプだったのかなと思います。ただその一方で、すごく頭が良くて、冷静に俯瞰している自分というのは、常に持っているような印象ですが…先生、どうですか?(笑)
佐藤そうですね(笑)彼は育ってきた環境が結構インテリなので、その一面はあるかと思います。父親が学校の先生ということもあり(当時、学校教育がまだちゃんと整っていなかったので)自宅で学校を開いていて、街の子供達を教えていたようです。
当時のウィーンにしてはすごくインテリな家庭で育っていますし、彼は読み書きもよくできるし、頭の良い子だったので、父親は学校の先生にしたかったみたいですが、そうはならず…すごく声が良かったので聖歌隊に入り、貴族の子供達がいるような寄宿舎学校に入り、そこで色々な文化人であったり貴族の人たちと出会い、その後のシューベルティアーデに繋がっていきました。なので、どちらかというとハイソサエティーな文化の中にいた人なので、マナーというのが子供の頃からあったのかなぁと思います。そこは、モーツァルトやベートーヴェンとは違うところだと思います。
スタッフたしかに!シューベルトの音楽って何か”品”がありますよね。一方でベートーヴェンは聴く人によってはその激しさから下品だという意見も…?(笑)
安達ベートーヴェンは本能に訴えかける感じ!何か、お腹にくる感じ…(笑)
スタッフたしかに!クラシック音楽は、作曲家の歩んできた人生や時代背景によって音楽の印象が変わるので、興味深いです。
歌曲をヴィオラで歌う
スタッフなぜ、シューベルトの歌曲を器楽で取り組んでみようと思ったのでしょうか?
安達ヴィオラの音域が人の声の音域に近いというのが一つと、音楽家として“歌”というのはすごく大きな要素だと思っていて、常に大切にしてきました。歌の基本である、息を吸って息を吐くという行為は、何もなくてもできる音楽の一つだと思います。それくらい原初的な要素なので、音楽家として”歌”をライフワークとして取り組むことは、何か本質的なものがあると思っています。あとはシューベルトの専門家である佐藤さんとの出会い、というのが大きくて…。一緒に演奏させていただくことで、すごく勉強にもなります。
シューベルトの魅力でいうと、その詩の世界というがすごく興味深くて、どっぷりハマってみたいなぁと思ったこともきっかけの一つでしたね。
スタッフなるほど!最初に安達さん演奏に触れたとき、その歌心や表現力に、とても驚きましたが、ご本人も”歌”という要素を大切にされているからこそだったのですね。
安達“言葉と音のリンク”というのは自分の中ですごく意識していますね。言葉が無い状態でその曲を聴いていただくわけなので、情景を音だけで表現できるところまではやりたいという思いがあります。果たしてどれくらいまでできるのか、というところにも挑戦してみたかったですし、逆に歌詞がないことで、純粋に音楽として聴いたときの、旋律や音の美しさを楽しんでいただけるのかなとも思っています。
スタッフよく歌曲を器楽で演奏する際に、もともとその楽器で書かれていたように演奏するべきだという意見もありますが、とりわけドイツリートに限ってはそんなことはないように思えますが?
安達そうですね。せっかく歌詞があって、作曲した背景もあるので、そこは忠実に、誠実に演奏したいと思います。
佐藤よくリストのピアノ編曲ものに、わざわざ旋律の箇所に歌詞が書いてありますよね。器楽で演奏する編曲ものだとしても、その歌詞をちゃんと読んで弾いて欲しい、という意味が込められていると思います。歌曲ですと、子音がどれくらいあるかなどで、次の音に入るときのタイミングや音の立て方など、色々なところに影響が出てきますので。
スタッフそれでいうとシューベルトの音楽はシューベルト以降の作曲家にもすごく影響を与えていますよね。やはり当時は目新しい音楽だったのでしょうか?
佐藤そうですね。生前、シューベルトは友人だけの狭い世界でしか生きていなかったので、それこそ音楽のプロみたいな人たちに認知されてきたかな?というタイミングで亡くなってしまいました。結局、シューマンとかが再発見していくというプロセスがあって、それから彼らが「こんなにすごい作品がある!」といった具合でどんどん宝箱を掘り起こすようにして、認知されてきたようです。実はブラームスがシューベルトの自筆譜をかなりたくさん貯蔵していたようで、そのうちの舞曲なんかはかなりの数をブラームスが後から出版したりとか…。出版しなかった曲というのもあり、それ見てみると、ブラームスの曲にかなり似ている曲もあったりするので、もしかしたら彼のネタ帳みたいにしていたのかもしれないですね(笑)
シューマンについては、彼のピアノの作品で「謝肉祭」や「ダヴィット同盟曲集」というのがありますが、要するに舞曲集なんですよね。ダンスの音楽をたくさん繋げるという発想は、おそらくシューベルトの舞曲集から来ていて、それを一つの舞踏会にして、もっとこう色々なダンスにコントラストをつけていくような感じをシューマンは考えていたのかもしれないですね。室内楽曲にもそれが見られます。
安達へ〜、そうやって後の作曲家のレファレンスになっていたというのは面白いですね!
佐藤そうですね、そういう意味では後に作曲家たちに影響をかなり与えていたと思います。
スタッフすごいですね。生前は自分のこじんまりとした世界でしか生きてこなかったシューベルトでしたが、後の作曲家たちが彼の作品を見過ごさなかったという事実が、彼がいかに新しい時代を切り開いていったキーパーソンだったのかがわかります。
安達ベルリオーズがロマン派の架け橋だと言われることが多くありますが、実はシューベルトのドラマチックさを考えると、ロマン派はシューベルトからなんじゃないかな?と思ったりします。
ドイツリートの楽しみ方!
スタッフシューベルトの作品(とくに歌曲)は膨大で、ドイツ語がわからない日本人にとってはあまり身近に感じられない存在にも感じられるのですが、私たち聴き手はどのように楽しめば良いと思われますか?また、歌曲を器楽で表現するうえで気をつけていることはありますか?
佐藤やはりある程度のガイドがあった方が良いと思います。私たちのプログラムノートやトークなどで「こんな感じの曲かな」といった想像をしていただいたりとか、あとは美しいメロディやハーモニーで楽しんでいただいたりとか…。あとは、ピアノパートは描写を映し出すように書かれていることもポイントです。歌い手というのは基本的には主人公なので、自分の主観で色々なことを語っていくのですが、その周りで起きていることというのをピアノで表現していることがシューベルトでは多いんですよね。たとえば、以後のシューマンなんかだともっと内面をピアノが表現しているようになってくるので、だんだん役割が変わってきますよね。
そこの主人公と伴奏者の立ち位置みたいなことが、二人で取り組む芸術として、楽しんでいただけるポイントかなと思います。
スタッフシューベルトの歌曲におけるピアノの役割を“描写”と表現することに、とても納得します。物語が進んでいくような感覚になるのはピアノがその役割を担っているからでしょうね。
安達たしかに。何か、シーンを作っていくような感じですよね。なので聴き手の方もその情景に入っていくような感覚で聴いていただけると良いと思います。絵を鑑賞する時に、すっとその中に入っていくような感じというか…ある意味で鑑賞するような感覚で聴いていただけると良いかなと。たとえば、部屋によって色や匂いが違うと感じるのと同じように、何か新しい空間に入っていくような感覚といえば伝わるかな…。
佐藤歌曲って一曲一曲が短いですよね。クラシック音楽において、基本的にはそんなに短い曲って実はあんまり無いと言われています。もちろん、ロマン派のピアノの曲には短い曲もたくさんありますけど、だいたい10分とか…ソナタだったら20分という長さのものが多いと思います。ある時期、日本人はドイツリートが好きだ、と言われていることがあって、それはなぜか?というと、俳句とか短歌とか、そういう短い芸術、余韻とか余白とか背景とか想像しながら聴くというのが、好きな人たちが多いからだと言われていたことがあります。オペラとか長〜い作品は聴いていられないというか…(笑)
スタッフなるほど!・・・ということは日本人とドイツリートは親和性が高いということですね!つい最近、マタイ受難曲を聴きに行ったのですが、とっても素晴らしかったのですが、あの長〜くて壮大な感じは日本人の持つ感性とはかけ離れたものを確かに感じました(笑)日本人の持つ侘び寂び、そして秘められた寂しさ、という要素において、まさにピッタリですね。新発見。驚きです!
歌心の養い方
スタッフピアノとヴィオラ、異なる楽器を演奏されるお二人ですが、“歌心”という要素において特筆すべきものを感じます。
佐藤ピアノの楽器としての問題点としては、音が減衰していってしまうので、メロディーが続いてくれないという点があります。これは色々な先生方も「歌うように、とかもっと歌って!」とよく言われますが、それは自分の中でも常に課題に感じています。ですが、完全にソルフェージュのとおりにオンタイムでやってしまうと、多分すごく機械的にピアノの場合、聴こえてしまうので、それをどうやってルバートというか、微妙に揺らしていくとまるで歌うように聴こえるかとか、というのは色々こう考えていますね。
スタッフなるほどですね。佐藤さんのピアノは本当に音楽的に自然で心地よく、歌心に溢れていていつも惚れ惚れと聴いてしまいます。その裏には歌うことに対する疑問と追求があったのですね。安達さんはいかがでしょうか?
安達ヴィオラはね、歌うのが得意な楽器なので、フレーズを歌うことはもちろん問題なくできます。ですが、歌の作品に取り組んで改めて思うことは、普通に器楽の曲を取り組むときは大きなフレーズへの意識の方が重要視されているのに対して、歌曲は”語る”要素があるので小さなフレーズを意識する必要があります。それらを音色やアーティキュレーションだけで表現しなければならないので…。
スタッフたしかに。何か微細なニュアンスの変化が求められるのかなって思いますよね。
安達そうですね。普通の曲だったらそんなに種類は無いんですね!(笑)歌曲の場合は結構それによって表現が変わってきてしまいます。何か音楽的に悲しくなくても悲しい情景になることもありますし、言葉がある分、より細かいカラーが必要になってきます。シューベルトの歌曲については“朗読”という感じでしょうか。声色や、空気感、どれくらい息をするかとか…音楽はシンプルだけどいつもより気を配ります。
スタッフ歌曲は、はっとする美しさであったり、ニュアンスの変化であったり、私たちが気持ちよく聴いている裏側には色々な演奏家さんの努力があったのですね。
美しき水車屋の娘
スタッフ最後に、今回のプログラムの聴き所とお客様へのメッセージをお願いします!
佐藤今回は、なんといっても「美しき水車屋の娘」がメインというか核になっているのですが、前回の「冬の旅」と対になる、同じミュラーという人の詩による歌曲になっています。冬の旅のほうは失恋した後から話が始まるのですが、水車屋の方は恋をして失恋して死んじゃうという…話なんですよね。それはある意味ですごく悲しい話だと思うのですが、でもなんかちょっと可愛らしいところもあって、感情移入できるところもあって、かわいそうなところもあって、なんというか、とてもわかりやすいお話なんですよね。まぁ実際、本当に失恋して死んじゃうのかっていうと、現実にはなかなか無いのですが…(笑)感情移入して聴くことによって、たとえば失恋の痛みを和らげたりとか、そういう効果もあったりするのではないでしょうか。男の子が恋をして、それがすごく独りよがりだったりとかというのが、後からわかってくるみたいなこともあり、何層にも色々なドラマや仕掛けみたいなものがあって、それが水車屋の魅力だと思います。その中の「しぼめる花」を主題にした変奏曲を最後に演奏するのですが、ヴィオラ版の楽譜は出版されていないので、他では聴けないのではないかな、と思います!シューベルトのヴィルトゥオージティな一面がわかる作品です。
安達シューベルトの作品に、「君はわが憩い」冬の旅の「おやすみ」という作品があるのですが、君が気付いてくれ僕は救われるのに…という歌詞があって、水車屋も「君がくれた花を僕の墓に入れたことに君が気づいてくれれば僕は救われる…」みたいな歌詞があって、そこがすごい私はシューベルトっぽいなぁと思います!本当はすごく優しくて、根底には大事にして欲しいという思いがあるんですよね。だけど男の子は愛情表現ができていなくて女の子は結局、狩人と一緒になってしまったのですが、男の子の中ではもう妄想でいっぱいなので「彼女は僕のことが好きなんだ」ってずっと思っていて(笑)。もうその辺が、なんていうんだろう、可愛らしいというか…。たしかに、若い頃のコニュニケーションがあまりうまくできなかった時、恋心とかってフラジャイルなものだったし、すごくピュアで、ある意味独りよがりで、イノセントだけど、それがすごく清らかな感じがします。
今回、そういう春を感じられるような作品も入れているんですけど、甘酸っぱい青春の雰囲気っていうのが、初夏にもピッタリだと思いますし、冬の旅のすごく哲学的な深いという感じではなく(もちろんそういう雰囲気はあるんだけど)なんかもうちょっと…若い感じなんですよ!生まれたてほやほやで繊細…みたいな、delicatoって感じ!(笑)そういう感じを、ちょっとくすぐったいな、と思いながら聴いて欲しいですね。
佐藤なんか、ラブコメみたいな感じの面もありますね!
スタッフなるほど!すごくわかりやすいです。何か、シューベルトに近づいた気がするので、あとは当日の音楽を楽しみたいと思います。
(2022年4月18日収録。文責、見澤沙弥香)
安達真理&佐藤卓史 オール・シューベルト デュオリサイタル
2022年5月8日(日) 開演14:00
美竹清花さろん
⇨公演の詳細・ご予約はこちらから
Tel:03-6452-6711
info@mitakesayaka.com
当日プログラム
フランツ・シューベルト:
ガニュメート D544
音楽に寄せて D547
ます D550
五月の歌 D503
涙の賛美 D711
君は憩い D776
夕映えの中に D799
男はみんな浮気者 D866-3
『美しき水車屋の娘』D795より
2.どこへ?
6.知りたがり
7.いらだち
8.朝の挨拶
10.涙の雨
14.狩人
18.しぼめる花
19.水車屋と小川
「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲 D802
他
*プログラム等は、やむを得ない事情により、 変更になる場合がございます。
プロフィール
安達 真理(ADACHI Mari)Viola
東京を拠点に、ソリスト、室内楽奏者として幅広く活動するなか、2021年日本フィルハーモニー交響楽団ヴィオラ客演首席奏者に就任し、ますますの活躍が期待されている。また、今年1月には作曲家・ピアニストの安田芙充央氏と『MY DEAR』をリリース。『Winterreise』、『J.S.バッハ 組曲&パルティータ』に続く三作目となる。
桐朋学園大学卒業、ウィーン国立音楽大学室内楽科を経てローザンヌ高等音楽院ソリスト修士課程修了と研鑽を積み、2013年からはインスブルック交響楽団にて副首席奏者を2年間務め、バンベルク交響楽団に客演したこともある。
2016年よりパーヴォ・ヤルヴィ氏率いるエストニア・フェスティバル管弦楽団に参加し、2019年の来日ツアーでは、各地で行われた全てのプレコンサートにおいて、五嶋みどり氏とモーツァルトの二重奏曲を披露した。
テレビ朝日『題名のない音楽会』などのメディア出演のほか、2019年には熊本城ホール開業記念公演で坂本龍一、藤原真理の各氏とピアノ・トリオを演奏し、その模様はNHK-BSプレミアムで放送され話題となった。
オフィシャルサイト https://www.mariadachi.com
佐藤 卓史(SATO Takashi)Piano
1983年秋田市生まれ。高校在学中の2001年、日本音楽コンクールを制し一躍注目を浴びる。東京藝術大学を首席で卒業後渡欧、ハノーファー音楽演劇大学、ウィーン国立音楽大学で研鑽を積む。2006年ミュンヘンARD国際コンクール特別賞、2010年エリザベート王妃国際コンクール入賞、2011年カントゥ国際コンクール第1位など受賞多数。とりわけ2007年のシューベルト国際コンクールでの優勝とその後の世界各地での演奏活動を通して“現代随一のシューベルト弾き”の評価を確立した。2014年よりライフワークプロジェクト「佐藤卓史シューベルトツィクルス」を開始、未完作品の補筆を含む前人未踏のシューベルトピアノ曲全曲演奏に取り組んでいる。
指揮者ジョナサン・ノットの指名により同氏の東京交響楽団音楽監督就任披露演奏会のソリストを務めたのをはじめ、N響、日本フィル、神奈川フィル、大阪響、広島響等と共演。レコーディングにも積極的に取り組み、これまでに日本と欧州で20タイトルを超えるCDをリリースしている。放送や室内楽に加え、近年は作編曲の分野でも活動。2021年に初のオリジナル作品集CD「《ラクリメ》変奏曲~佐藤卓史:2台ピアノ作編曲集」(ライヴノーツ)を発表。
公式サイト www.takashi-sato.jp