目次
2015年渡仏。パリ・エコール・ノルマル音楽院の最高高等演奏課程に授業料全額免除奨学生として在籍し卒業。パリ・スコラ・カントルム音楽院ヴィルトゥオーゾ課程及びコンサーティスト課程を審査員満場一致の最高評価を得て首席で修了し、フランスものを得意とするピアニスト深貝理紗子さん。(以下敬称略)
昨年の公演「メシアンの神秘」では、メシアン特有の音響や色彩をサロンという親密な空間で体験でき、好評を博しました。
さらに、彼女のフランス音楽や現代音楽の造形の深さ、視野の広さ、思考の深さ、鋭い感性に驚くばかりです。
音楽についてのみならず、フランスのサロン文化の歴史や政治など、幅広い見識の持ち主である彼女は、まさに知識の泉。
今回、サロンが旗をあげて取り組む特別企画、作曲家オリヴィエ・メシアンをテーマとした演奏会第2弾を開催するにあたって、お話しを伺いました。
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メシアン音楽の神秘2 ピアノ:深貝理紗子
2023年6月24日(土) 15:00開演
⇨詳細・ご予約はこちら
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メシアンは体験するもの
スタッフ昨年のメシアン(フランス・1908-1992)の演奏会、とても印象的でした。
その空間にいた皆さんが一体となったような感じがしましたが、今年はどんな演奏会になることを期待しますか?
深貝昨年、このサロンという素敵な空間も相まり、お客様と一体となって、私もとても心地よい空間で演奏できました。
昨年を振り返ると、ちょうどロシア・ウクライナ戦争が始まる頃?だったので、情勢的にもちょっとピリピリしていたと思います。
たまたまですが、プログラムも火の島なんかはバイオレントと記載されているような作品であったり怒りを感じるような作品も多く、時に緊張感のある雰囲気も漂っていましたが、お客様にあたたかく見守っていただいたような感覚もありました。
今年はもう少し、自然体の日常に近いイメージで、暗いものというよりは爽やかな風であったり、光の多いイメージであったり、そういった部分を出していきたいなと思います。
心地よく、色彩的で、光や香りが多いプログラムになっており、昨年よりもリラックスできる内容かと思います。
ドビュッシー(フランス・1862-1918)も、昨年は結構プレリュードの無調のものを入れたのですが、今年はデュカス(フランス・1865-1935)についても牧神関連で繋いでみたので、メシアン以外の作品からも色彩感が感じられるかなと。
昨年よりは色合いが明るいですね。
前半にベリオ(イタリア・1925-2003)の作品を取り入れていますが、水や風が感じられるような自然の音が入っているようなピアノ作品をセレクトしました。
ドビュッシーの生家にある「パン(牧神)と羊飼い」の像。
ドビュッシーにとってもその後のフランスの作曲家にとっても「牧神」(神話の半獣神)は重要なアイコン
サントシャペルのステンドグラス。メシアンの色彩の源
スタッフそれこそ、クラシックの公演に行こうと思ってプレイガイドを探してみても、なかなかベリオの作品に触れることって少ないと思うのですが、もし初めて聴く人にベリオの特徴をお伝えするとしたら、どんな作曲家だと思いますか?
深貝今回演奏する2つのピアノ作品は、ベリオの作品のなかでより「曲っぽい」と思います(笑)
というのも、一番最初に私がベリオを聴いたのは高校生の時で「セクエンツァ」と「シンフォニア」という作品だったのですが、まるでパッチワークみたいに曲が変わって行くんですね。
人の声が突然入ってきたり管弦楽のドビュッシーやラヴェル、バッハやベートーヴェンなどの一部分が合わさっていたりというのがあったり…。
その中の歌詞の一部分がクロード・レヴィ=ストロース(20世紀の社会人類学者・哲学者)の『神話論理』のなかの言葉が入っていて、それが20世紀の音楽家へも与える影響が大きく、さらに時代が終わるきっかけを作ってしまった人でもあります。
なので、もちろん賛否両論があるかもしれません。
クロード・レヴィ=ストロースの『神話論理』に書かれているような「文化と自然の在り方」や「音楽は神話のように天上と地上を交感できる存在」という考え方はベリオだけではなく、メシアンに通ずるものがあるので、そういった裏の面から見ても面白いプログラムかもしれないです。
スタッフそういう背景があったのですね!
そこまでの情報量をあらかじめ共有していただけるのは、とても興味深いです。
深貝そうですね。ただ今回セレクトしたベリオの作品はそこまで尖っていないので、割と初めて聴く方でも馴染みやすいかなと思います。
ベリオは実験音楽を試みた人なので、ジョン・ケージ(アメリカ・1912-1992)やブーレーズ(フランス・1925-2016)もそのあたりですね。
ジョン・ケージをメシアンと関連付けるのだとしたら「偶然性」という要素でしょう。
ジョン・ケージとブーレーズは私の感覚から並べると喧嘩しそうな感じだと思っています。
ブーレーズは偶然性を重視しつつも、必然性があるというような枠組みや形式的なものを完全には破壊しなかったのに対して、ジョン・ケージは偶然性オンリーだったので、完全に破壊しているという違いがあります。
ベリオについては、そこまで自分のこだわりは強くは無いけど、偶然性という要素を重視していたようです。あとは一つの和音がずっと最後まで聞こえているようなイメージでと楽譜に記載されていたりと(物理的には聞こえていないのですが)そういったところに彼の面白さというかメッセージが感じられますよね。
スタッフデュカスについてはどうでしょう?一般的には魔法使いの弟子くらいしかイメージしかなくて…(笑)
深貝そう、デュカスはメシアンが大好きだった先生です!デュカスのオペラ『アリアーヌと青髭』を聴いたメシアンは、少し恥ずかしがりながらも「あの色彩感が忘れられません。そこには幸福しかなかった」と熱烈な手紙を送っています。
なのでやはり彼の色彩感にはすごく影響があったと思います。
メシアンの曲の中にもデュカスのための追悼の作品なんかもあって、それと同じ比較としてスペインの作曲家ファリャ(スペイン・1876-1946)も作品を作っています。そのあたりを並べるのも面白いかな〜と実は思っていましたが…
ドビュッシーを崇拝するアパッシュというグループ(1900年頃にパリの音楽家、詩人などが結成した芸術グループ)があって、ファリャとラヴェル(フランス・1875-1937)はそこのメンバーだったので、とても仲も良かったようです。
スタッフなるほど〜そう考えるとロマン派みたいで面白いです。
いつも驚くのですが、深貝さんの知識量、すごいですよね…。
深貝さんはなぜフランス音楽にそんなにお詳しいのですか?
深貝フランス音楽は私にとって風通しが良いというか、すっと体に入ってくるような存在です。
あとは音楽だけでなく、他の絵画や詩、文学など、いろいろなものが関わっていて、さらに深掘っていくとその前の音楽家と関わっていたりとか、いろいろな関係性が見えてきて面白いのです。
それでいて、あまり「作り込もう」とはせず、「自然な生活の中で」生まれる音楽が多いような気がして、人間っぽい感じが素敵だと思っています。
スタッフなるほど、それがフランス音楽の軽妙洒脱な印象を生み出しているのかもしれないですね。
深貝:絶対こういう風に聴いて欲しいという強い何かというよりは、もちろん一本芯はあるんですけど、この面から聴いてもこの面から聴いても良いよ、というような受け皿の広い感じが良いですよね。
自分のピアノは「オタク」
スタッフご自分のピアノについてどう思っていますか?
深貝自分のピアノは・・・・オタクでしかないかと・・・(笑)
スタッフオタク!わかる気がする(笑)
深貝ピアノを弾いていない時間も歴史や背景を調べたり、実際に作曲家がどんな人だったのか、その人が読んでいる本を読んでみたり…そんなことでも楽しめちゃうんですよね。
スタッフ探究心というか好奇心というか、それがすごく伝わってきます!
深貝これ勉強しなきゃというよりかは、楽しくてあっというまに時間が過ぎていたみたいな…。
スタッフいや〜才能ですね。よく努力は夢中には勝てないという言葉がありますが、まさにこのことですね!体現されていますね。
先ほどのリハーサルの様子をお聴きしていたのですが、空気を吸って吐くたびに、サロン全体であらゆる方向からメシアンの音楽が自然に現れてくるような、そんな感覚になりました。
作品の持つ温度感を自然に伝えていきたい
スタッフ深貝さんはどんな演奏をして目指していますか?
これからの抱負なんかも教えてください。
深貝そうですね、たぶん今までのまま行ったら、レパートリーはフランス近・現代が中心になるかなと思います。
そこから関連した作曲家たちプラス、あまり日常から離れすぎないような作品に取り組んでいきたいですね。
なんでしょう。例えば「芸術はこうであるべき」みたいな感じではなく、あまり芸術を誇張しないというか、美化しすぎないというか…。
スタッフえっと、それはベートーヴェン(ドイツ・1770-1827)のことでしょうか?(笑)
深貝いえいえ、ベートーヴェンはあの時代を考えるととても人間らしいと思います!
私ができることとしては、そういった作品のもつ温度感を自然に伝えていきたいのです。
演奏会という場所は「今どういうことを伝えたいのか?」ということを、音楽を通じて訴えかけられる、社会的意義を持つ場だと思います。
そして昔はさらに、そういう要素が強かったと予想します。宮廷で弾かないといけないという場合は該当しないかもしれませんが、ベートーヴェンの作品も、哲学書のように感じられたり、生き方や主張を感じられる作品もありますよね。メシアンも「ベートーヴェンは苦悩と葛藤を乗り越えたから感動的な作品を残せた」と語っています。
そういった作品の本質的な部分を出していける演奏をしていきたいですね。
スタッフ温度感を自然に…というところが、今の時代、とても珍しい演奏スタイルのような気がしてお話を聞いていました。
それこそ、コンクール主義ということもあり、熱中して作り込めば美しいというような価値観が前提であるような気がします。
もちろん、どちらも芸術を追求する姿勢は同じだと思いますので、逆とまではいかないかもしれませんが、もう少し肩の力を抜いて、そういった自然の美しさを見つめ直すのも大切なことだと思います。
深貝作ることだけに集中してしまうと、気づいたら視野が狭くなってしまうような気がしてしまって…。
温度を高くして熱中して作っているものほど温度が低くなってしまうときもあるような気がするんですよね。
例えばプロコフィエフなんかを弾くときはあえて温度を低くして冷たくした方がフィットすることがあります。人間味を排除したほうが、人として訴えたかったことを引き出せるかもしれない、と思うからです。だから彼の色彩感にはどこか空元気のようなものを見ています。
作っているものを見てくださいとなると、どこか綺麗事っぽく感じてしまうこともあって…気が付かないうちに温度感をなくしてしまうのが怖いなと思っています。
スタッフなるほど。
練習して、作り込んで、本番があってというフローが当たり前になってしまっているような気がするので、温度感を客観的に捉えて、俯瞰した方がより美しくなる場合もあるかもしれないですね。
深貝あとは会話と一緒で聴衆とのコミュニケーションが取れるようにしたいですよね。
一般的に言われている、インスピレーションに近いのかもしれません。
近・現代音楽をどう捉える?
スタッフ深貝さんは近・現代のレパートリーがとても豊富だと思うのですが、ずばり、現代音楽って何だと思いますか?
それこそ、日本音楽コンクールの作曲家部門も実演がなくなってきたりと、現代音楽が止まってしまっている(もしくは衰退している)ように感じるのですが、どうでしょうか?
「どのように捉えられているか?」もしくは「これからどうなっているのか?」などお聞かせいただければと思います。
深貝あ〜たしかに、少し敬遠されがちなジャンルですよね。
前提として、現代音楽とは、バッハのもっと前の音楽、それこそグレゴリオ聖歌から遡って知っている(あるいは学んできた)現代を生きる人が作っている音楽のことを指します。
なので、良く現代音楽を「破壊」と表現される方がいますが、私は「アップデート」だと思っています。
例えば、ベートーヴェンの時代の作品のようなストレスのかからない和音に対して、その時代時代に生きてきた人たちが「今どう思うか?」という試行錯誤を重ねていったというイメージです。
ですので、伝統を破壊してまた新たに構築するというよりかは、伝統を守るプラス発展させていると考えます。
例えば、少し不思議な和音を重ねていったりとか、何か概念を破壊するものもありますよね。
「こうであるべき」という枠組みだけで決めてしまうと、そこに共感する人しか聴かなくなってしまって、すごく細い線になってしまうと思います。
コンクールの作曲部門で実演がされないことは驚きました。一層閉ざされた印象も受けてしまいかねません。武満徹の言葉に「舞台があって、演者と聴き手の生のコミュニケーションを感じて初めて、自分の曲がどんな曲なのかわかるんだよね」というとても素敵なものがあって、私も演奏するときに大切にしています。現実的に、コンクールの運営も大変な負担があると思いますが、音楽である以上演奏はされるべきと考えます。さらにそれはたった一度のコンクールのために消費されるわけではなく、今後も演奏され続けるものとして、一演奏者として興味を持っています。
スタッフ本当にその通りです。
現代音音楽の取り組みについて、最近興味深いと思ったことを教えていただけますか?
深貝例えば、今、フランスなどで見られるのは自動ピアノと一緒にセッションするというものがあります。
ですが、自動ピアノ自体が発明されたのは1800年代なので、実はすごく古いものなんですね。他で言えばファックスなども発明された時代ですよね。
オルゴールの原理で空気を送ることによって鍵盤が動くようになっているので、実は単純なのです。
演奏家にとっても、録音技術がまだ発展していなかった時代だったので、自分の演奏を後世に残すために発明されたのが始まりだそうです。しかしそのあと録音技術が発展していったので、一旦、自動ピアノは世の中から消えてしまいました。
この話からもわかるように、現代音楽って前衛的な印象を持たれがちなのですが、実は昔の人がやってきたことと、そんなに変わらないんですよね。
シェーンベルク(オーストリア・1874-1951)が調を壊していったといわれていますが、その前の音楽が大嫌いだったからではなく、好きで好きでたまらなくて、こんな素晴らしい音楽がどうしたらもっと可能性を広がるのかなと(もっと人間の声として広がるのか)という探究心からまず調を破壊したという背景があります。
メシアンも同じで、和音がもっと無限大になるような工夫が随所に見られます。音がぶつかり合うように書かれたものに抵抗のある方もいると思いますが、メシアンは音が重なり合うほど色彩も光も増していくと考えていたようです。
メシアンは敬虔なクリスチャンであったにも関わらず、ヒンドゥーの音楽(リズムパターン)が大好きでそれを取り入れています。
なので、西洋音楽というのがキリスト教の音楽と思われがちですが、そこにメシアンが他の宗教のリズムパターンを入れたというのは、実はとても破壊的な試みだったと思います。
メシアンが「まなざし」を出したときは、批評家たちはすごい大ブーイングだったそうで…メシアン事件と言われたくらいです。
しかし、それを擁護していたのがプーランク(フランス・1899-1963)だったのも興味深いですよね。
スタッフなるほど!その繋がりからも現代音楽の変遷を辿ることができますよね。
現代音楽に批判はセットでついてくるような気もしますが?
深貝そうですね。批判批評を繰り返して、守るべきものと取り入れていくものの議論が繰り返されることで、発展していくのが現代音楽だと思います。
しかし昨今、現代音楽という分野に対して、潜在的にみんな敬遠しすぎちゃっているような印象です。
そういった先入観無しにもっと深く学ぶと、その時の社会情勢が必ず反映されていると思いますし、そういう背景から見ると、とても人間的な流れの自然な中から生まれている音楽で親近感が湧きます。
なので、人として考えることが重要だと思います。
それによって破壊される前の音楽が良ければそれは一つの答えなのです。
スタッフなるほど!そういうふうに現代音楽をとらえたことがなかったので、とても勉強になりました。
音楽もそうですが、SNS等で個人で発信できるようになったからこそ、演奏家さんの演奏会に対する取り組み方も変わってきたような気がします。「上手ければ売れる」時代はある意味終わってしまったような気がします。
例えば、アレンジとかもクラシックと似ているポピュラーの曲を重ねる試みもあり、それをクラシック畑の方は批判する人もいて、ある意味現代音楽と近いような部分があるなと思います。
深貝そうですね。まぁ、アレンジに関してはサティ(フランス・1866-1925)とかもやっていましたからね(笑)
スタッフたしかに!時代を俯瞰してみるからこそわかることですよね。
深貝さんって視野がとても広いですよね。なぜだと思われますか?
深貝広くはないと思いますが、自分の意見を持つのはすごく大事なことなんですけど、その意見を守るために人の意見を批判しなくても良いと思うんです。
逆に取り入れちゃった方が面白いと思うんです。興味のある分野かどうかという問題もあると思いますが、自分から拒否してしまうと、もっと面白く繋がる可能性の種を摘んでしまうような気がして。
スタッフ素敵だと思います。フランスに留学されたのは影響ありますか?
深貝そうですね。自分の意見を伝えたときに、否定するわけではなく、まず認めてくれるというのがあり、それがとても良いなと思いました。
それって、その人も自分の考えを曲げてないと思うんですけど、意見を出し合うことで良いものを共有できているポジティブなイメージがあります。
それでいて、変に劣等感も持たないし、かといって変に威張らないし、自然体でそれ以上でも以下にもならないというのが居心地よかったですね。
スタッフ深貝さんのピアノも否定がないというか、心地良いウェルカム感があって、やはりその人の思想というかスタンスは演奏に現れるなと思いました。
暗譜についての興味深い話
スタッフ近現代曲が得意な人ってすごいな〜と思うのですが、深貝さんは結構レパートリーに入れられているイメージですね?
深貝そうですね、シューマンなんかも好きなのですが、自分が一番ノリノリで弾いていられるのが近現代だと思いますね。
スタッフすごーい!暗譜とかどうやっているんですか?
深貝画像として覚えちゃうというのもあるし、もちろん指もあるのですが、それだけだと調律が微妙に違うとわからなくなってしまうので、画像で覚えるのが一番多いです。
スタッフすごいですね。フォトグラフィックメモリーというやつですね。
この暗譜方法はできる人が限られていると聞きます。
深貝暗譜に関しては色々な方法がありますよね。メロディーラインであったり、曲の構造を覚えたり。
スタッフ暗譜一つでもとても興味深いです。
6月24日という日
深貝演奏会の日にちが6/24だったと思うのですが、実はメシアンにとっても重要な日でもあるのです。
メシアンは従軍期間がありまして、ナチスの占領下でも音楽家ということもあり一応大事にされていたようですが、解放されてパリに戻ったのですが、なかなか地方に住む家族にも会いにいけなかったそうです。
そんな中、真っ先に考えたのが戦時下で書かれた衝撃的なカルテット「世の終わりのための四重奏曲」を、パリで初演すること。そしてそのパリでの初演の日が6/24でした。生きて帰って、再び音楽を発信した日だと思うと、勝手に感動してしまいます。パリ解放までは劇場もドイツの支配下でしたから、忍耐が希望になった素晴らしい瞬間だったのではないかなと思います。
スタッフ「世の終わりのための四重奏曲」はヴァイオリン、ピアノ、チェロ、クラリネット、楽器はそれしかなかったという──大変な作品ですよね…。
メシアンという作曲家を代表する重要な作品の一つですが、その後、トューランガリラ交響曲や、鳥のカタログ、アッシジの聖フランシスコなどが作曲されていることから、転換期となる作品だったことがわかりますね。
メシアンが多く初演を行ったスコラ・カントルム音楽院の中庭(深貝氏の母校でもある)
(2023年6月6日収録。文責、見澤沙弥香)
メシアン音楽の神秘2 ピアノ:深貝 理紗子
2023年6月24日(土)
開演15:00
渋谷美竹サロン
⇨公演の詳細・キャンセル待ちはこちらから
Tel:03-6452-6711
info@mitakesayaka.com
プログラム
オリヴィエ・メシアン:《8つの前奏曲》より 第1曲「鳩」
オリヴィエ・メシアン:《鳥のカタログ》 第5巻より 第9番「ヨーロッパウグイス」
モーリス・ラヴェル:《鏡》より 第2曲「悲しき鳥たち」
ルチアーノ・ベリオ:《6つのアンコール》より
第2曲「葉」
第3曲「水のピアノ」
オリヴィエ・メシアン:《鳥のカタログ》 第7巻より 第12曲「クロサバクヒタキ」
ポール・デュカス:遥かなる牧神の嘆き
クロード・ドビュッシー:《6つの古代のエピグラフ》より 第1曲「夏の風の神、パンに祈るために」
オリヴィエ・メシアン:《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》より
第2曲「星のまなざし」
第4曲「聖母のまなざし」
第16曲「預言者、羊飼いと東方の三博士のまなざし」
第10曲「喜びの聖霊のまなざし」
プロフィール
深貝 理紗子(FUKAGAI Risako)Piano
パリ・エコール・ノルマル音楽院及びパリ・スコラ・カントルム音楽院を審査員満場一致の最高評価を得て首席で修了。
東京音楽コンクール第2位、ショパン国際ピアノコンクール in ASIA コンチェルトC部門アジア大会ブロンズ賞、フランスピアノコンクール第1位、C.カーン国際音楽コンクール第3位、J.フランセ国際音楽コンクール入選など国内外で受賞。
2022年秋にティートックレコーズよりメジャーデビュー。日本初録音を含むCD『Parfum』を全国リリースし、芸術現代社の専門誌『音楽現代』推薦盤、音楽之友社の月刊誌『
これまでに下野竜也氏、川瀬賢太郎氏などの指揮のもと東京交響楽団等と共演。東京文化会館や岩崎ミュージアム主催公演等多数出演。皇居での御前演奏や、フランス「世界文化遺産の日」を記念する文化財でのデモ演奏なども務めた。
これまでに横山幸雄、オリヴィエ・ギャルドンの各氏に師事。レパートリーはバロックから現代音楽の新曲初演まで。とくに近現代音楽を中心に、音楽サロン文化などの芸術文化全般を交えたアプローチを展開している。
現在演奏活動の傍ら、主宰音楽教室、インターナショナル音楽教室等で後進の育成とクラシック音楽の普及に尽力している。
オフィシャルホームページ:https://risakofukagai-official.jimdofree.com/