目次
生命は煌めく、燃え尽きるまで────
巨匠たちの晩年の作品たちを、吉田友昭氏が紡ぎ出す。
「人生をいかに終えるか」
人間であれば誰しもが避けることのできない永遠のテーマですが、巨匠たちは死を目の前にした瞬間、何を思い、
吉田氏のピアノは、何か悩みがあれば吹き飛ばしてくれるような、
普段は大学で教鞭を取られていることもあり、人生の始まりに触れることが多いそうですが、彼が今、なぜこのテーマに触れたいと思ったのか、語っていただきました。
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吉田友昭 ロマン派の巨匠たちによる最期の煌めき
2024年12月22日(日) 14:00開演
ショパン:3つのマズルカ Op.59
舟唄 嬰ヘ長調 Op.60
ポロネーズ第7番 「幻想」 変イ長調 Op.61
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
シューベルト:3つのピアノ曲 D.946
シューマン:3つの幻想小曲集 Op.111
「精霊の主題による変奏曲」 変ホ長調
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「人生をいかに終えるか」を意識する…
──今回は、吉田先生が今、一番取り組みたいと感じられているプログラムを中心に組んでいただいたかと思っていますが、ずばり、今回のプログラムの思い入れと、聴きどころについて教えていただけますか。
吉田ベートーヴェンの三大ソナタの時も、オール・ショパンの時も、そのときにもっとも演奏してみたいと感じていた作品に取り組みました。
今回はベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマンの後期〜晩年の作品に焦点を当てています。
というのも僕、今年が厄年で、昨日も人生初のぎっくり腰になったりして…(笑)。また、周りに不幸が多くなっていることに気づき、「人生をいかに終えるか」ということを、以前よりも意識するようになりました。
普段、大学生や高校生と接していますので、「いかに始まるか」を意識することが多いのですが、一方で自分の時間になったときに「いかに人生を終わるか」ということを考えるようになってきました。・・・となると、自然に、作曲家たち一人ひとりが、どう生きて、どんなふうに終わっていったのだろう、と考えを巡らせるようになりますね。そうして彼らの晩年の作品に取り組んでみようということになり、そんな中で、自分の生き方も見えてくるような気がしています。
スタッフ深いテーマですね。人間、誰もが避けられない道ですし、全員がまちがいなく直面しなければならない課題ですね、人間一人ひとり、皆すごいことですね…。昔の作曲家では、30代で人生を終えた方なんかもいますが、現在では、“人生100年時代”といわれるように長生きするようになってしまいましたが、やはり、そうした死生観を意識することはとても大切なことですね。
吉田そうですね。いくつになってもやりたいことがある人生を送りたいですよね!それこそ、やり残したことが無い最期の状態というのは、ちょっとつまらないかな…と感じているのですが、どうですかね。(笑)
スタッフ今回のテーマでは、お客様にどんなことを感じていただきたいとお考えなのでしょうか?
吉田芸術とは何かと考えたときに、「生きること」とか、「生命の躍動」であったり、「生命の爆発」であったり、そういった言葉が頭に浮かびますが、作曲された作品には、彼らの生き方やその背景など、たくさんのものが詰まっているはずです。自分が演奏する作品を通じて、作曲家が伝えているメッセージというものが、お客様一人ひとりに対して、「生きるとは何か?」とか、「美しく生きるとは?」とか、何かそんなものを見直したり、ご自分の人生を振り返るきっかけになってくれたら、すごく嬉しいですね。
スタッフとりあげている各作曲家の晩年の作品で、何か共通点のようなものはありますか?
吉田ほとんどの作品が、Dur(長調)で終わっています。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111はハ短調で始まり、ハ長調で終わります。ショパンの幻想ポロネーズOp.61は変イ長調、シューベルトの3つのピアノ曲 D946は最後のピアノ作品ではないので異なりますが、ハ長調で終わります。最後のピアノ・ソナタ 第21番 D.960は変ロ長調、ベートーヴェン第九もニ短調に始まり、ニ長調で終わります。
皆さん長調で終わりますね!それぞれの作曲家たちの晩年の作品に触れていると、彼らは「やりきった」と感じていたのではないかと思うのです。
その逆に、長調で始まり、短調で終わる曲ってとても少ないのです。人生、悲劇では終わらないということでしょうか…。やはり、最後は苦しまないで旅立ちたいじゃないですか!自分も長調で終わりたいなと考えていますよ(笑)。
スタッフそういった作品をまとめて年末のサロンで聴くことができるというのは、とても意義のある時間になりそうな予感がします。
吉田そうですね、サロンのよいところは、お客様お一人ひとりと、繋がることができるということですね。先ほど、ピアノに触らせていただきましたが、以前よりも良い感じで進化しているし、12月の末には自分もさらに変わっているかもしれないですし、それも楽しみです。
数字にこだわるのは数字に負けたくないという最初の意識
──吉田先生のプログラミングでは、数字に対するこだわりも感じられますが、作品番号や数字について、どのように認識されているのでしょうか?
吉田数字へのこだわりというのは、最近とても気になっているトピックです。数字というものは、人類が長い歴史の中で作り上げてきた”神”であり、”悪魔”であると思っています。アリストテレス、ピタゴラス、ニュートン等々、たくさんの方が数字に関わってきましたが、それらの数字はすべて、人間が産み出したものであり、自然が産んだものではないですね。数字ほど人を喜ばせるものは無いですし、数字ほど人を絶望に突き落とすものもありません。身近なところでいえば、ボーナスという数字をもらえたらハッピーになりますし、病気や成績…なんかでもすべて数字、この数字が悪いと人は絶望に陥ってしまいます。楽譜だって数字!4部音符、8部音符等々…。
コンピュータをはじめ、スマホなどの電子機器も数字の結晶のようなものですし、CDなどの音源だって、数字から成り立っています。電車に乗れば周り中、数字に囲まれています。このように、現代社会では、世の中に数字が溢れています。
僕はその数字が、大好きであり、大嫌いでもあるのです。だからこそ、数字に支配されず、どんな数字さえも自分の糧にし、数字を操る側になりたいと思っています。
作品番号くらいからですが、数字にこだわるのは数字に負けたくないという最初の意識です。この話の大元は、養老孟司先生の本やお話によって自分のアンテナが反応して共感したことなのですが、第三者の誰かの考えであっても、それに共振し、自分なりに腑に落ち、自分のものになっていくのだと思います。
・・・・こんなこと考えているのは僕くらいかも知れませんが…(笑)
スタッフ数字を意識する音楽家さんは案外多いような気がします!バッハなんかも数字にはとてもこだわっていたようですし…。私たちも123シリーズの”123”は、物事の始まりを意味する象徴としてつけたネーミングです。同じ抽象的な表現でも、数字を使った方が、より伝わるという場面が多く見られますよね。
吉田たしかに。バッハは目が見えなかった時期もありますし、数字にこだわっていたとはいえ、すべての作曲家がそうだったとは言えないですね。9番までの交響曲で終わっている作曲家が目立ちますが、皆さん、10番以降も作りたかったと思います。
スタッフたしかに、作曲家も人間、限られた人生があるなかで、9番で終わることなく、さらに完璧なものを目指し、10番も作曲したかったでしょうね、そう思うと、なんだか9番に余計に愛着が湧きますね(笑)。
吉田“完璧なもの”か〜…。僕たち演奏家も”完璧なもの”を目指して演奏会に臨みます。ですが、結果的には、完璧にならなかった演奏の方が、時として聴き手にとっては完璧に聴こえることもあるようです。例えば、音程がズレていたとしても、歌詞の内容によっては、ズレていた方が感動することもありますね。ですので、数字的な意味では不完全だけど、受ける印象としては完璧という…不思議な現象ですね。答えのない、終わりのないテーマになってしまいますが…。
スタッフ計算どおりにはいかないことが多々ある、偶発的な現象といいますか、しかし実は、そこに美しさ、面白さ、尊さが宿っていることがあるのですね。数字に囚われないというお話がありましたが、今のこの時代において「コンクールの順位」「フォロワー数」「いいね」「売り上げ」ありとあらゆる場面で、数字、金額を目にします。もちろん、そうした評価の対象となるような、現れている結果としての数字は、努力の賜物であり、立派な成果でもありますが、長期的な視点では、そういった現象としての数字に惑わされず、物事の本質を常に見ている人間になりたいですね。「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使って嘘を言う」という言葉もありますね(笑)。
12年の留学経験で培われた大和魂
──吉田先生の演奏を聴いていると、(その覚悟の強さからか?)日本人としての意気込みというか、大和魂のようなものを感じます。日本人として、西洋の文化であるクラシック音楽に取り組み、日本で演奏をすることに対して、どのようにお考えなのでしょうか?
吉田そのようにおっしゃっていただけることは、とても嬉しいです!僕は日本の文化、伝統芸能である歌舞伎も落語も大好きです。自分は何故そういった日本文化が好きなのか?と振り返ったとき、実は、どちらも初体験は、パリに留学中の時だった、ということを思い出しました。日本から長期間、離れていて、初めて日本の文化の素晴らしさに気付きましたし、その逆に、あれほど憧れていたヨーロッパの良くないところも見えてきました。そんな中で、日本人的な感覚や日本人的な要素が、僕自身、とても強いという自覚があります。・・・・例えば、大義があると燃えたりしますし(笑)。それこそ小澤征爾さんの本『やわらかな心をもつ』に書いてありましたが、ドイツ人がフランス人の作曲家を演奏しようとすると、どうしてもドイツ人風のフランス作品になってしまう…という記述を読んで、なるほどと思いました。
日本人はというと、自分を滅して、その国の精神を謙虚に学び、吸収して表現することに長けているのは一番だと思っています。しかし、個が無いかと言われたら個はあるわけです。そういった意味でのバランス感覚という面でも、日本人は長けていると感じています。ヨーロッパの方は、レッスンを受けるにしても我が強いですし、ルールにも則らない場面を多く目撃してきました。(笑)
日本に帰ってきてから特に思いますが、日本人は何か自己否定の文化が強いのですが、総合的に、欧米人には負けていないことに、自信を持って取り組んで欲しいですね!僕の場合、日本人だからできないと言われるのには腹が立ちましたね!ここでも負けたくないという精神が…(笑)。ジャパニーズドリルとか、空手とか、侍とか、レッスンで言われたこともあります…。もちろん愛のあるいじりのような感じなのですが…(笑)。
スペインのマヨルカ島にて(ショパンが滞在していた修道院の屋根裏でのコンサート)
スタッフ吉田先生のヨーロッパ滞在期間は12年でしたでしょうか。おそらく日本を離れて海外で生活するなかで、吉田先生のなかにあった日本的なもの、魂が逆に育って、むき出しになって爆発したのですかね…、日本にずっといたら、そうした爆発はなかったのでは…という気もします。文化の違いというものは、どちらがいい悪いではなく、とにかく”違う”、それだけなんですよね。
吉田たしかに。まだ留学していなかった中高生の頃は、音楽作品に取り組むためという理由もありましたが、ドストエフスキーとか、ダンテの『神曲』といった欧米の文学作品ばかり読んでいました。しかし、留学してからは日本文学ばかり読んでいましたね。漱石なんかも、留学先でほとんど読んでしまったような気がします。
「追い込む」ことで生まれる集中力
──吉田先生の演奏には、凄まじい集中力を感じます。演奏に集中することの秘訣というか、意識しているようなことがありましたら教えてください。
吉田それね、例えば生徒から「演奏中、どんなことを考えているんですか?」とか、良く聞かれるんですが…、演奏中は何も考えていません。もっと正確にいうならば、何も考えなくていいくらいまで、邪念が無くなるまで、追い込んでいきます。何も考えていないというのが、端から見ていて集中力として感じられるのかもしれません。まあ、そんな感じですが、セルフケアも大切にしています、サウナに行ったりと。
スタッフただひたすらに「追い込む」とか「やり切る」というと、シンプルなことですが、現代では、そうしたシンプルさが難しくなってきていると思います、なぜでしょうか?
吉田やっぱりその辺には、どこかで「成功したい」とか、「売れたい」というような邪念というか…そんなものがあるのではないか、そうすると難しいことになるんじゃないですかね?
スタッフその辺はがんばるという理由にもなり得そうですが…?
吉田たしかに…。コンクール挑戦期間のうちは、そういったサバイバル要素が急成長に繋がることもあるかもしれません。ですが、コンクール時代を終え、働き始めても、プロの演奏家として活動するなかで、「次の仕事に繋がるように」とか「演奏謝礼を多くもらえるように」とか、そうした考えに囚われているうちは、なかなか難しいんじゃないですか?(笑)
もちろん、シビアな世界ですし、そういったことも大切なことなので否定はしませんが、すごく微妙なところですね。そういった余計な想いが先にありきではなく、結果的に、次の演奏会に繋がって行くというやり方がベストですね。そういった想いは聴衆の方にも伝わってしまいますし、そういう演奏は誰も聴きたくないでしょう…。(笑)
しかしまぁ、演奏できる機会が多いと嬉しく感じることもありますし、出演料を多くいただければ生活も豊かになりますし、より多くの拍手をいただけることは演奏家冥利に尽きますし、評価を気にしちゃうのも、自分の将来を不安に思うこともごく当たり前なことです。もし、不安なものをすべて手放してしまうとしたら、極端な話、道路を歩いていて、事故に遭って死んでしまうようなことになったとしてもおかしくありません。不安がないと人間は生きていけないのです。演奏会を怖いと感じたり、そういう自分を認め、受け容れてあげたり…、演奏を目の前にしている演奏家というものは皆、そうでしょう。演奏家ならば、誰でもやっていることでしょう。
スタッフ生徒さんも、自分の先生が演奏家として音楽に向かい合う姿勢、また本番の際の覚悟やそういった姿勢、本音などは、とても参考になりますし、励みにもなると思います!若いうちはどうしても経験不足で視野も狭くなりがちだと思いますので、レッスン以外の事かも知れませんが、そうした姿に接するということは、とても大事なことではないかと思います。
吉田そういうことは最近、よく感じますね。「先生でも緊張するんですか?」とか言われるとびっくりします!世界の巨匠だって、大統領だって、誰しもが緊張しているんです。信念をもって臨むからこそ、本気だからこそ緊張するんです。緊張しなくなった瞬間、つまらない演奏になってしまうと思います。僕は昔、「あなたの演奏はリラックスしている。子供っぽい。」と、酷評されたことがあるんですよ(笑)。その時には、ちょっと勘違いしていたな〜と反省しました。昨年のシフの演奏会でも、一曲目で左手の暗譜が飛んじゃった箇所があって、緊張が伝わってきましたし、バレンボイムも、演奏会がない日は罰ゲームだと言っていたくらいです。(今は体が動かなくなってきたので、違うかもしれませんが)とにかく、成功したいと思う自分を受け容れ、その邪念を受け流すイメージを持つことだと思います。キャッチ・アンド・リリース。
現状維持は衰退だ
──人間である以上、誰しも浮き沈みがあると思いますが、吉田先生のように、音楽に対して、常に心に情熱を灯し続けることができるのは、なぜでしょうか?
吉田浮き沈みは誰にでもあります!それこそ、一ヶ月間、ピアノを弾かなかったことだってありますし、イタリアでゴーカートに行って遊んでいて、先生に「遊びたかったから練習はしませんでした!」って言ったこともあります(笑)。ですが、そういったことは、人前にさらす必要はないと思います。誰にでもあることですから…。
スタッフなるほど・・・その辺に関して、なにかモチベーション維持の秘訣などはあるのでしょうか?
吉田シンプルに「上手くなりたい」「音楽をもっと知りたい」と毎日思っています。あとは生き方として、「より良く」ではなく、「より美しく」生きたいという信念を持っています。しかし、こうした精神の部分は、どういう教育を受けてきたかによるかもしれません。
20歳の時、パリ留学時代の師であるミシェル・ベロフ氏に「人間は下がるか上がるかだから、止まっていることなんかできない。今の自分のレベルで良いと思った瞬間、下がっていくものだ」と言っていたのが、今もずっと心に突き刺さっています。不思議なもので、レッスン内容よりも、そういう心に刺さった体験というのは、その言葉、シチュエーション、ジェスチャーに至るまで、脳裏に焼きついて鮮明に覚えているものです。ありがたいことに、自分の精神性が育ったのは、師や仲間など、周りの人に恵まれたからだと強く感じています。
スタッフもちろん、周りに恵まれた面もあるかもしれませんが、それを受けとめる力というか、レセプターのようなものがないと、取り入れることができないと思います。
吉田そうね。僕、結構ね、尖っているように見られるんですけれど、実は、言われたことを素直にやるタイプなんですよ!(笑)。完璧にやったうえで、さらに言われた以上のことをやって「文句ないでしょ!」っていうのが好きだったんです!(笑)。自分では、言われたことでやらなかったことはないと思っていますよ!(笑)
スタッフそれってある意味、「真の尖り」だと思います!(笑)何事も守破離はあると思いますし、本当に突き詰めている人では、素直じゃない人っていないような気がしますね。
吉田たしかに、僕の周りのピアニストは皆そうでしたね!菊地裕介くんにしても、福間洸太朗くんにしても。レッスンでいろいろ言われて納得していない様子でしたけど、指摘された内容をその場で完璧に習得したうえで、本番では違うことをしていたり(笑)。今の子って、けっこうタイパやコスパを求めるじゃないですか…!ビジネスでは必要なことかもしれませんが、芸術の法則とは相反します。そんなものを求めちゃダメですよ!
ピアノ学習者に告ぐ、スマホ首に注意!
──ピアノ学習者に対して、「これだけは絶対に大切!」と思うことを教えてください。(もちろんレベルも目標も個性も違うと思いますが、本質的に誰にも通ずるようなことがあれば、お願いします。
吉田スマホをいじってるだけ、ピアノが下手になるので、やめてください!これは声を大にして言いたいですね!(笑)演奏動画を見たいのであれば、スマホのような小さな画面で、音質も悪いものを視聴してもあまり勉強にならないので、少なくともiPadもしくはPCやテレビなどの大きい画面で、正しい姿勢で見ること!スマホとうまく付き合わない限り、ピアノが上手くなるのは難しいと思います。スマホの動作は、鎖骨周りの筋肉が固まってしまいます。この10~15年のスマホの普及が、ピアノの演奏にとって本当に問題になっていて、体が使えている上手い人と下手な人と二極化しているんですよ。上手い子を見ていると、ほとんどの場合、体が使えています。今の子って、これができなくなってしまっているんですよ。(首だけ柔軟に左右に動かす動き)
「オトナブルー(新しい学校のリーダーズの代表曲)」MVの首振りダンスね。(笑)
身体を使うことが、とても下手になってしまっています。
スタッフわぁ!すごく柔軟に動きますね!驚き。ひょっとして耳も動きますか?
吉田あ、動きますね。これは生まれつきというか、昔からかも。
スタッフ耳が良い人は耳が動くと、ずっと昔に、国立音大の先生から聞いたことがあります。信憑性は不明ですが…、確かに多いようです。
吉田もちろん、ピアニストとして身体的に恵まれている面もあるかもしれませんが、僕、人の名前を覚えられないんですよ。名前よりもその人がどういう人間かの方が重要だと思ってしまうので…。
(2024年8月22日収録。文責、見澤沙弥香)
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吉田友昭 ロマン派の巨匠たちによる最期の煌めき
2024年12月22日(日) 14:00開演
ショパン:3つのマズルカ Op.59
舟唄 嬰ヘ長調 Op.60
ポロネーズ第7番 「幻想」 変イ長調 Op.61
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
シューベルト:3つのピアノ曲 D.946
シューマン:3つの幻想小曲集 Op.111
「精霊の主題による変奏曲」 変ホ長調
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プロフィール
吉田 友昭(Tomoaki Yoshida)Piano
札幌市出身。東京芸術大学を経て20歳時にヨーロッパへ移住。パリ国立高等音楽院にてミッシェル・ベロフ、エリック・ル・サージュに師事。同音楽院を一等賞の成績で卒業後、イタリア・ローマ聖チェチーリア音楽院にてセルジオ・ペルティカローリに師事し修了。ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学ポストグラデュエート課程にてパヴェル・ギリロフに師事し修了。
第79回日本音楽コンクール第1位。マリア・カラス、ホセ・イトゥルビ、マリア・カナルス、ハエン、シドニー他の国際コンクールで優勝・入賞。スペイン、イタリア、オランダ、ドイツにて演奏ツアーを行う。バルセロナ・カタルーニャ音楽堂、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ミュンヘン・ガスタイク文化センター、バレンシア音楽堂にて演奏。フランスに5年間、イタリアに4年間、オーストリアに3年間居住した後、2015年に日本に帰国。現在は国内にて様々な演奏・指導活動を行うと共に、東京音楽大学にて専任講師を務める。2022年は第76回全日本学生音楽コンクールの審査員を務める。
趣味は歌舞伎鑑賞、サウナ、ランニング。