目次
2015年渡仏。パリ・エコール・ノルマル音楽院の最高高等演奏課程に授業料全額免除奨学生として在籍し卒業。パリ・スコラ・カントルム音楽院ヴィルトゥオーゾ課程及びコンサーティスト課程を審査員満場一致の最高評価を得て首席で修了し、フランスものを得意とするピアニスト深貝理紗子さん。(以下敬称略)
シリーズ「メシアンの神秘」第1弾、第2弾では、メシアン特有の音響や色彩をサロンという親密な空間で体験でき、好評を博しました。
今回、サロンが旗をあげて取り組む特別企画、作曲家オリヴィエ・メシアンをテーマとした演奏会第3弾を開催するにあたって、お話しを伺いました。
音楽についてのみならず、政治や歴史、絵画や文学に至るまで、幅広い知識と深い洞察力をお持ちの深貝さんは、まさに知の探求者です。
誇張するわけでもなく、ごく自然に日常のことのように柔らかい表情でお話しする姿がとても印象的でした。
また、深貝さんの文章は、無色透明の輝く水晶のような感性・知性で書き下ろしたように美しく、愛とリスペクトがあります。
演奏家としてのみならず、執筆家としてのご活躍が今もっとも期待できる彼女に、その心得を伺いました。
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<メシアン音楽の神秘3 ピアノ:深貝理紗子>
2024年9月28日(土) 15:00開演
メシアン:《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》全曲
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メシアンの音楽に取り組むという、運命
──── メシアン《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》全曲演奏の開催に至った経緯や思い、意気込みを教えてください。
深貝ずっと全曲演奏をしたいと考えており、前回の演奏会では、メシアンという作曲家があまり日本人に知られていないことを考慮し、抜粋して演奏しました。前回の演奏会で《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》より第16曲「預言者たち、羊飼いたちと博士たちのまなざし」の曲を演奏したところ、初めて聴くお客様からも好評で、「面白かった」という声を多くいただきました。その時、未知の作品でもエキサイトできる可能性があると感じたのです。
私自身もじっくり時間をとって全曲演奏することで、より深く作品と向き合いたいという思いがありました。
メシアンがこの作品を発表したのは、36~37歳の頃でした。今年はちょうど、パリ解放から80年で、この作品の作曲からも80年になります。この数年前、第二次世界大戦ではメシアンも従軍し捕虜となりました。その経験もまた、この作品に深く影響を与えていると感じます。捕虜になっていた時代がちょうど今の私の年齢くらいになるので、驚いてしまいますが…。
戦争という空白の時代は、芸術界にも大きな影響がありました。戦争の痛みを思わせる作品も、かえってプロパガンダに使われることが多かったといいます。メシアンがひたすらイエス様や、鳥、自然音を題材にし続けたことは、そのような時代にとても意味があったことだと感じています。敵国の音楽を軽視することもなく、権力に利用されることもなく、ただ音楽そのものへの探究を深める姿勢を貫きました。純粋に音楽を追求し、ひたむきに真っ直ぐに大切なものに向き合う姿勢は、現代を生きる私たちにとっても心を打たれるものであり、大変共感できるものです。
世界各地で紛争が頻発するようになり、日本にいるとなかなか戦争というイメージは湧かないかもしれませんが、コロナパンデミックのように、何らかの力によって活動が制限される経験は、多くの人にとって共通の体験と言えるでしょう。メシアンの作品は、そのような困難な状況を乗り越えて生まれたものだからこそ、現代の私たちにも多くのことを教えてくれるはずです。
スタッフ私たちにとってメシアン音楽というのはあまり身近ではないと思います。
トゥーランガリラやアッシジの聖フランチェスコなど、メシアンの代表作ではないですけど、聴く機会は時々ありますが、ピアノ作品などには触れる機会がありません。
深貝さんがメシアンに本格的に取り組もうと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか?
深貝高校生の頃、勉強中にラジオから今まで聴いたことのないような音が流れてきて、驚きと感動で言葉を失いました。それがメシアンの《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》より第10曲「喜びの聖霊のまなざし」だったのです。まったく聴き馴染みのない音楽でしたが、いつか弾いてみたいというインスピレーションが湧きました。 楽譜はなかなか手に入らず、大学生の時にようやく見つけて、何度も繰り返し見ていました。大学で作曲を教えていた先生に「メシアンに向いていると思う」と勧められたこともきっかけとなり、私をメシアンの世界へと導いてくれました。
スタッフということは、深貝さんにとってメシアンの音楽に取り組むということは必然性があったということなんでしょうね。100人音楽家がいたとしたら98人の音楽家はメシアンに一生取り組まないかもしれません。もしかしたら、聴きもしない人もいるかもしれません。
深貝全くそうなんです。もともとドビュッシーやラヴェルなどのフランス音楽の響きがすごく好きだったというのもありますが。
スタッフしかし、日本人がメシアンに行き着くのはなかなかか、と(笑)
例えば、武満徹なんかは日本人の感性に通ずる部分があるなと思います。武満徹の音楽はとても日本的だと感じます。
深貝武満徹さんは、多くの文章を残されていますが、私が特に興味を持っていたのが、実験工房という芸術サークルでの活動です。実験工房の演奏会リストにメシアンの名前を見つけ、同世代のメシアンがいかにすごい存在だったかという武満さんの言葉を読んだことも、私に大きな影響を与えています。
武満さんは、詩人や美術家、批評家といろいろな座談を交わしています。そのなかで、メシアンをプロコフィエフやワーグナーなどとも比較していました。とても心にすんなりと入ってくるものでした。国を代表して名声を博したような作曲家たちは、たしかに巨匠ではあるけれど、どこか威圧感があるような、角張ったものを感じてしまいます。プロコフィエフもたくさん演奏してきましたが、彼の持つ力強さや恐ろしささえあるエネルギー、ワーグナーの大作における壮大なスケールは、私にとっては少し、圧が強すぎるように感じられたのです。
一方で、メシアンは、宗教の違いや国といった枠を超えて、普遍的な人間性を、等身大のまま追求していたように思いました。武満さんや実験工房のメンバーが、メシアンの音楽を「ヒューマニズム」という言葉で表現していたのを今でも覚えています。ヒューマニズムとは、人間そのものを中心に据え、人間が持つ尊厳や可能性を肯定する思想です。
武満徹のピアノ作品「オリヴィエ・メシアンの追憶に」は、メシアンへの深い敬意と愛情が込められた美しい作品です。武満さん自身も、初期の作品が「音楽以前である」と批評された経験があり、メシアンも同様の評価を受けることがあったと聞いています。
クラシック音楽の歴史において、作曲家の作品は常に批評の対象となり、賛否両論が巻き起こることはよくあることです。
スタッフ武満徹の文章は日本人だったら共感できる文章だと感じます。
宗教を超えた、スペクタクルのような作品たち
──── メシアンは敬虔なカトリック信者だったことで知られていますが、この作品はその宗教的な信仰心が深く結びついていると思います。
キリスト教の信仰がほとんど根付いていない日本人にとって、どのように作品を理解し、愉しめば良いと思いますか?
深貝メシアンは、敬虔なカトリック信者ということでしたが、もはや宗教の隔たりを超えていたと思います。彼は、鳥の鳴き声を音楽に取り入れるなど、独創的な手法を用いていました。特に、晩年に書かれた《鳥のカタログ》では、まるで鳥類学者のように、様々な鳥の鳴き声を詳細に分析し、それを楽譜に書き起こしています。メシアンは、鳥類学の先生でもあった人物から指導を受け、実際に鳥の鳴き声を録音したものを基に、何度も作曲を試みたそうです。鳥の種類によって、鳴き声の高さやリズム、音色などが驚くほど多様で、最初はどれがどの鳥の鳴き声なのか見分けがつかなかったと、本人も語っていました。しかし最終的には550種類もの鳥の声を聴き分けられるようになっていたとか…。
《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》にも鳥の声が登場しますが、後の《鳥のカタログ》を見ると、メシアンがいかに深く鳥の鳴き声を研究していたかがわかります。メシアンは、単に鳥の鳴き声を模倣するのではなく、その鳴き声の中に含まれる自然の神秘や生命の力強さを音楽に表現しようとしていたのではないでしょうか。捕虜になっていた期間、早朝の鳥の鳴き声が救いだったと語っています。鳥は、人間より天上に近いものであり、自由の象徴として、メシアンの音楽に欠かすことのできないものです。
聖書については、確かにメシアンは、聖書から着想を得て作品を創作していましたが、彼の音楽は宗教的な側面だけでなく、普遍的な人間愛も表現しています。彼は、自身の音楽を「スペクタクル」と呼び、観客に感動を与えることを目指していました。
もちろん音楽のイメージ、色彩的な面は教会のステンドグラスや聖書に出てくる色彩で音を書いていることがわかります。譜面に出てくるモチーフも「神の主題」「イエスの鼓動」など、宗教的です。でも、虹や庭、「愛の主題」などは、もっと広く親しめるものと思います。そして音響的にも、とても美しいです。
またメシアンは、カトリック信仰でない人や宗教観の異なる人々にも彼の音楽を楽しんでほしいと考えていました。あるインタビューで、「信仰心がないとあなたの音楽は聴けないのでしょうか?」という質問に対し、メシアンは、「例えば、日本の神道のように、多様な神々を信仰する人々も、私の音楽を愉しむことができるはずです」と答えていますし、日本が大好きだったようです。自然も多いし、鳥も多い。それらを八百万の神々と言われるように大切にできる日本人の独特な部分もまた、興味深かったのではないかと思います。
メシアンは「地上に生きている間に、どれだけたくさんのものを愛せることができたのかということが大事だ」と、よく語っていたようです。彼は、宗教を超えて、人間の普遍的なものを見つめ、深い愛情を示していました。それこそが彼の本質だと感じています。彼の音楽に触れていると、「たくさんの美しいもの、好きなもの、心が動くものを見つけてね」というふうに問いかけられているように感じるのです。
メシアンは、コンサートホールを教会のように、誰もが気軽に訪れ、心の安らぎを得られる場所にしたいと考えていました。彼の音楽は、宗教的な儀式ではなく、むしろ、観客の心に感動と希望を与えるための「劇場」のような存在だったのです。
スタッフとても器が広い人だったんですね!メシアンは、多くの肩書きがありますので、つい先入観で難しい印象を抱いてしまいますが、まったくそういうことではなかったのですね。
深貝メシアンは、自分の音楽を聴く人々に、心の広さをもってほしいと考えていました。彼は、「心を広くしてコンサートに行くべきだ」と語っています。心が固まっていたら、どんなに素敵な一瞬があったとしても見逃してしまう。音楽を聴いているときだけでなく、日々を過ごすうえでも思うことです。
メシアンは60年ほど教会のオルガニストとして活動する中で、様々な葛藤も抱えていたようです。20代で教会のオルガニストに抜擢された彼は、伝統的な宗教音楽にとらわれず、より自由に即興演奏なども取り入れたそうです。しかし、そうした彼の新しい取り組みは、一部の信者から反発を受けることもあったようです。
それでも、メシアンは自分の音楽に対する信念を貫き通しました。彼は、宗教的な信仰心を持つ人だけでなく、そうでない人々も、彼の音楽を愉しむことができるはずだと信じていました。あるインタビューでは、「信仰心がない人々をどう思うのか?」という質問に対し、「彼らは、ある意味で『逆さまの信仰者』と言えるかもしれません」と答えています。これは、宗教観の多様性を認め、すべての人の心に共鳴する音楽を作りたいという彼の願いを表しているのではないでしょうか。
歌、リズム、時間
──── メシアンの音楽に最初に触れたとき、その独特な響きの多彩さ、色彩感に驚きました。次のステップとして、より深くメシアンの音楽を愉しむためには、どのようなことを意識して聴けば良いでしょうか?
深貝メシアンの音楽を愉しむために、響きや色彩感の要素以外で3つのポイントに注目すると良いでしょう。
一つ目は、音と音の間の「歌」を感じることです。メシアンの音楽は、単なる音の羅列ではなく、それぞれの音の中に歌が宿っているかのように、豊かな表情を持っています。例えば、モーツァルトはメロディがとってもシンプルで、わかりやすいです。短い断片が、だれでも歌えるようなシンプルさで書かれているので、本当に美しいと思います。でも、メシアンだって美しいです。いちど聴いて歌えるか?と言われたら、私も自信はありませんが、あちこちに歌が溢れています。メシアンの音楽の中に潜む鳥の声をひとつ例にとっても、たった二つの連なる和音の中に、さまざまな歌、自然音が潜んでいます。
二つ目にリズムです。メシアンは自身を「リズム家」と称していました。「音楽家」「作曲家」というように、「リズム家」という大きな枠組みが、彼のプライドにあったのだと思います。彼の音楽には、多様なリズムが複雑に絡み合い、聴く者を魅了します。リズムを理解するためには、頭で理論的に分析するだけでなく、身体で感じることが大切です。
三つ目に時間です。メシアンの音楽は、一般的な楽曲のように、一定の拍子で進むわけではありません。例えば、3拍子で始まった曲が、途中で拍子が変わったり、枠をはみ出て自由なリズムになったりすることがあります。この時間の流れの変化は、あたかも時間の流れが伸び縮みしているように感じさせ、聴く者に独特の感覚を与えます。
時に、聴いている人が混乱したり、迷子になってしまうこともあるかもしれませんが、メシアンはそれが狙いなのです(笑)私たちは、時間に縛られて生きています。メシアンは時間が当たり前に進むことを、窮屈に思っていたのかもしれません。時、というのはずっと続いているもののはずなのに、人間は24時間を一日として、区切りながら生活しています。
メシアンは「音楽家が一番できることは、時間というものを扱えること」と言っていたそうです。
メシアンも大切な人を亡くしています。人の地上での「時の終わり」は、必ず復活をし、永遠となります。時というものが、永遠になる。これがメシアンの生き方であり、音楽だと思います。亡き人との悲しみをもった人には、当たり前の時間の区切りより、時から放たれた瞬間が、なによりも優しいことがあります。
メシアンの音楽において「愛」という言葉がよく使われますが、私にはこういった瞬間が、ひとつの愛の形に思えます。
日常の中に隠された美しさに気づく、メシアンの音楽
──── 深貝さんは長期にわたってメシアンに取り組まれていると思いますが、どんなことをテーマに演奏活動や執筆活動をしていきたいと思っていますか?
深貝メシアンという作曲家には巨大なものがいっぱいくっついてしまっているような、何かメシアン像というものがあるような印象があります。
しかし、メシアンの作品や言葉に触れていくうちに、ちょっとした風の音とか、太陽の傾き具合といった自然の美しさや、生命の尊さ、そして人間の心の機微を深く感じます。
今回の《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》にも見られますが、特に《鳥のカタログ》などでは、時系列が細かく書いてあり、何時に太陽が上がっていて、それによって影ができて、ここに鳥がいて、太陽が沈んでいく時の空の色は今この色になっていてとか…言葉と一緒にグラデーションで音楽が変わっていきます。
この《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》でいうと、神の主題、愛の主題というとても美しい主題があるのですが、この二つが全曲を通じて流れていて、いろいろな描写で移ろっていきます。
例えば、神の主題のうえに、鳥の声が自由に鳴いているような繊細な作品が、5曲目にあります。ガラス細工のようにデリケートで、わずかな陰影が本当にきれい。この主題はいろいろなところに登場しますが、いずれも恵みが訪れているときだ、という書き方をしています。調性的にもそうです。そうして作品に向き合っていると、自分たちが生きているのも、たくさんの恵みがあって成り立っているということを改めて発見することができます。メシアンの音楽は、大きいものや扇動的なものというよりは、ちょっとした一瞬の優しさというものを私たちに見させてくれる作曲家だなと思っています。
そういった音楽に触れているだけで、自分自身も道を歩いているだけで、空の色とか聞こえてくる自然の音に耳を澄ませられるようになってくるのです。
メシアンの音楽は、私たちに、日常の中に隠された美しさに気づくきっかけを与えてくれます。それは、空の色合いや、風の音、あるいは、誰かの笑顔かもしれません。メシアンの音楽を通して、私は、このような些細な喜びを見つけることの大切さを学びました。
なので、私がメシアンの音楽を紹介する際には、このような彼の音楽の持つ「優しさ」や「心の機微」を伝えることを心がけています。そして音に対しても、まっすぐな嘘のない向き合い方を心がけています。
執筆については、「これが間違っている」とか「これが正しい」という観点ではなく、誰かが作った作品、誰かが弾く演奏という、自分以外のものについて書くことになるので、土台にリスペクトがあることが前提で書くようにしています。
そのうえで、この作品をこういうふうに見ることによって、こういった世界が広がる…ということを、感覚から、人に伝わる言葉に綴っていくと、自分自身もさらに学ぶことができます。自分一人で考えているだけでは、とても見切れない世界が広がってゆく喜びをもって書くことを意識しています。
スタッフ研究者は常に懐疑的であるべき、という言葉がありますが、深貝さんの持つ懐疑心というのはまるで透明の水晶のように輝いていて、それゆえ、深貝さんの書く文章に否定はなく、読者を一筋の光のように導くような明るさを感じます。
スタッフメシアンは独自の音楽語法を持っていますが、メシアンの研究者気質にはどのような特徴があると考えていますか?
深貝ありがとうございます。私は、音楽を研究する上で、懐疑的な視点を持つことは大切だと考えています。しかし、その懐疑心は、音楽を批判するためのものではなく、より深く音楽を理解するためのものです。メシアンの音楽のように、一見、複雑に見える音楽も、一つ一つの音符に込められた作曲家の思いを丁寧に読み解くことで、新たな発見があるかもしれません。
メシアンは先人たちの音楽をものすごく研究した人でした。そういった礎があるからこそ、独自の新しさを見出せたのだと思います。
例えば、形式が伝統的であれば、和音に新しいものを入れています。和音に既存のドビュッシーぽいものを入れたとしたら、リズムで新しいものを入れました。
だからこそ、彼の音楽はどんな人が聴いても納得できる何かがあるのだと思います。
とっても勉強熱心で、授業の内容もすごかったみたいです!
社会学者との交流もあったようで、音楽家も音楽だけを考えていれば良いとは思っていなかったようです。音楽的にのみならず、社会的に、哲学的にという多面的に見たうえで、言葉を通じて表現した人だったと思います。人類学的にも、共通のなにかがなければ、集団は存在し得ないとありますが、逆に言えば、共通するなにかがひとつでもあれば、未知のアイディアを取り入れたとしても、受け入れられやすいのではないかと思います。
そういった意味では、ベルリオーズやワーグナーが好きだったようですし、共通点も見られます。
例えば、ワーグナーのライトモチーフ(※ワーグナーのライトモチーフは、彼の音楽劇において非常に重要な役割を果たす作曲技法です。特定の人物、場所、感情、あるいは物語の重要な出来事を表す短い音楽の断片が、作品全体を通して繰り返し現れることで、聴衆に物語をより深く理解させ、音楽的な一貫性をもたらします)や、ベルリオーズの「幻想交響曲」のテーマ(ベルリオーズの固定楽想は、後のワーグナーのライトモチーフに繋がる重要な概念です)は、わかりやすい例です。
メシアン自身が用いた神の主題などのモチーフは、それらの作曲家とは異なるものだとはっきりと言っているのですが、ヒントは彼らから得ていたようです。
ベルリオーズの色彩感や、自然に対する思想というものにもまた、影響を受けていると言っています。
メシアンは戦争に行くまでの3年間、若きフランスという音楽家グループで活動していました。そのグループがモットーにしていた作曲家がベルリオーズだったのです。フランスのいわゆるロマン派の時代に活動していた人で、音楽だけでなく、文学にも深い造詣があった人物です。
透明な水晶のように輝くアンテナ
──── 深貝さんの知識の量と深さ、視野の広さに毎回驚きます。普段どんなことを意識して情報収集やその情報を自分の音楽に生かされていますか?
深貝自分ではまだまだとしか思っていないのですが(笑)もともと読書は好きです。今ではクラシック音楽の作曲家の名前と作品のおおまかな部分は把握していると思っていますが、若い頃は、その作曲家がどのような音楽を書いているのか、名前を知っただけでは分からなかったので、ピアノに限らず、オーケストラや歌曲、室内楽作品など、様々な音楽を聴くようにしていました。いろいろな演奏家の演奏で聴くと、今度はどんな作品と組み合わせて弾いているか、なども自然と入ってきて、さらに興味が広がって。とても楽しいですね。作品が作られたとき、どんな背景があったとか、どんな交流があったとかも気になりました。
フランスのサロン、特にマラルメのサロンは、文学的にも絵画的にも大好きだったので、ドビュッシーや他の作曲家との繋がりを知るのも楽しみでした。そこはむしろ、詩人への興味から入りこんだ世界だったので、こんなにも音楽と結びつくとは思ってもいませんでした。実験工房のような活動を知るのも面白いし、ショパンなどの時代のサロンについても調べるのも興味深いです。サロンの歴史を知ることは、文化の変遷だけでなく、政治や歴史的事件、人間的ドラマに触れることでもあります。サロンは容れ物のことでもありますが、私は容れ物だけではサロンとは呼べないと思っています。志、熱意、精神性のもとで行われる対話、それらがあって初めてサロンになります。美竹サロンは、現代を生きる貴重なサロンです。
シューマンは特定の本を愛読しており、それが彼の作風と深く結びついていることに気づいた時は、とても興奮しました。メシアンも、お気に入りの詩人や作家がいます。「この人はこんな本を読んでいたから、音楽もこんな展開になるのか」とか、「だからこの部分に戻るのか、唐突なものではなかったんだ」というように、様々な要素が繋がり合う瞬間が楽しいのです。それはもう、私の趣味になっています。
大学時代には、ピアノの先生だけでなく、作曲の先生や他の楽器の先生からも多くのことを学びました。例えば、ある先生はメシアンを熱心に勧めてくださり、別の先生は歌とピアノの伴奏のDVDをわざわざ焼いてきてくださいました。ピアノを弾く人は、歌を学ぶことは本当に大切です。たくさん本を勧めてくれた先生もいます。それらのおすすめの本のなかに、サントリーホールの初めてのステージマネージャーさんの本があって、彼らの仕事が演奏家にとっていかに重要なのかを知りました。カラヤンとのエピソードを読んで、ステージマネージャーの一言が演奏家にどれほどの影響を与えるのかに感動しました。演奏は、演奏家だけでなく、多くの人の努力と想いが集まって実現するものだと改めて気づかされました。それ以来、ステージマネージャーや音響スタッフなど、舞台裏で活躍する人々の動きにも注目するようになりました。
スタッフ深貝さんのすごいところは、一つの情報から実に多くのことを引き出す力を持っていることです。
まるで水晶のように透明なアンテナに、多くの情報が自然と集まり、深貝さんの感性によって洗練されたアウトプットが生まれるようです。
深貝ありがとうございます。そういえば、パリの劇場で働く人々はイケメンが多かったですが(笑)困ったお客様をスマートにエスコートする姿に感心しました。音楽の世界でも、カスタマー・ハラスメントやマナーの問題など、様々な問題があります。どうしようもない個々人の問題もあると思いますが、演奏会の満足度はそれらに全て繋がっていると思うので、音楽をしている瞬間に限らず、嘘のない誠実な姿勢でいたいと思っています。自分の演奏会のために尽力してくれる方たちや、応援してくださる方々が、気分良く過ごしてくださったら嬉しいです。
作品に向かうときも、人と向き合うときも、いつでも「決めつけ」をしないように気をつけたいと思っています。自分のことを簡単に決めつけられたりすると、疑問に感じることがありますよね。作品だって生き物なので、向き合うこちらが、柔軟な対話をできるように、常に自己を疑う姿勢を大切にしています。演奏する空間でも、聴衆と十分にコミュニケーションが取れているか、生きた対話があるか、大切にしています。空間というのは、表現活動をする人たちにとって、とても重要です。
昔の演奏家の話や、音楽評論を読むことで、客観的な視点も養える気がします。奥深く心に響くものがたくさんあります。まだまだ出会えていない素敵な音楽や言葉が、待っているような気がして、わくわくします。音楽だけに偏らず、様々な分野に興味を持って心を耕すことで、より豊かな表現ができると思っています。たいてい、感動するときは思いがけないときです。用意したところに、予想していたものが来るとは限りません。むしろ、予想していないものが来たときに、いかに心を震わせられるか、しなやかに面白がっていけるか、そちらのほうが人間らしい気がします。音楽は心そのものなので、全てが自然に繋がっているように感じています。
スタッフだから、深貝さんの演奏は不自然さがなく、自然体で聴くことができるのですね。 最後にご来場いただくお客様へメッセージをお願いします。
深貝ぜひリラックスして、くつろいで聴いていただけたら嬉しいです。演奏だけでも2時間を超えるものですが、一本の映画や舞台を観るような、または長編小説を読むような充実感のある作品です。難しく考えず、身体で感じてみてください。MCを合間合間に入れてまいりますが、それが作品への距離の近さとなれば嬉しいです。でもその先は、皆さんそれぞれが、メシアンとの特別なコミュニケーションをしてゆく時間です。ゆったりと、この特有の美しい音楽を楽しんでください。メシアンの音楽は、ギラギラと格好良いところも多いですが、淡いニュアンスや、音の消え際がとても香り高いものがあります。そういったこともぜひ、生演奏で感じていただけたらと思います。隅々まで空間を意識できるサロンという空間で、全編を通し、私もどのような世界が見られるのか、とても楽しみにしています。皆さまのご来場、お待ちしております。
(2024年7月16日収録。文責、見澤沙弥香)
メシアン音楽の神秘3 ピアノ:深貝理紗子
ステンドグラスの彼方
⇨詳細・ご予約はこちら
2024年9月28日(土)
開演15:00
渋谷美竹サロン
プログラム
メシアン:《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》全曲
第1曲:父のまなざし
第2曲:星のまなざし
第3曲:交わり
第4曲:聖母のまなざし
第5曲:子を見つめる子のまなざし
第6曲:その方によって全ては成されたり
第7曲:十字架のまなざし
第8曲:天のいと高きところのまなざし
第9曲:時のまなざし
第10曲:喜びの聖霊のまなざし
第11曲:聖母の初聖体
第12曲:全能の言葉
第13曲:降誕祭
第14曲:天使たちのまなざし
第15曲:幼子イエスの口づけ
第16曲:預言者たち、羊飼いたちと博士たちのまなざし
第17曲:沈黙のまなざし
第18曲:恐るべき感動のまなざし
第19曲:私は眠っているが、私の魂はめざめている
第20曲:愛の教会のまなざし
プロフィール
深貝 理紗子(FUKAGAI Risako)Piano
東京音楽コンクール第2位、ショパン国際ピアノコンクールin ASIAコンチェルトC部門アジア大会ブロンズ賞、フランスピアノコンクール第1位、C.カーン国際音楽コンクール第3位、J.フランセ国際音楽コンクール入選など国内外で受賞。
2015年渡仏。パリ・エコール・ノルマル音楽院の最高高等演奏課程に授業料全額免除奨学生として在籍し卒業。パリ・スコラ・カントルム音楽院ヴィルトゥオーゾ課程及びコンサーティスト課程を審査員満場一致の最高評価を得て首席で修了。
これまでに下野竜也氏、川瀬賢太郎氏などの指揮のもと東京交響楽団などと共演。東京文化会館主催公演や岩崎ミュージアム・山手ゲーテ座主催公演をはじめとして多数のコンサートに出演。皇居での御前演奏や、フランス「世界文化遺産の日」を記念する文化財でのデモ演奏、パリ市内「若手指揮者育成のためのワークショップ」公式ソリストなども務めた。
これまでにピアノを横山幸雄、オリヴィエ・ギャルドンの各氏に、室内楽をシャンタル・ド・ビュッシー、原田禎夫、今井信子、松本健司の各氏に師事。
現在演奏活動の傍ら、コンクールの審査員や主宰音楽教室、インターナショナル音楽教室にて後進の育成とクラシック音楽の普及に尽力している。
オフィシャルホームページ:https://risakofukagai-official.jimdofree.com/