本シリーズ『プロコフィエフ ピアノソナタ全曲』は全曲プロジェクト第一弾で、ピアニスト入江さんご自身の発案で開催される運びとなりました。
「バランスの良い大きな五角形」のような演奏家になりたいと語ってくださった入江さん。
(参照:ソロから室内楽まで──入江一雄の優れたバランス感覚の秘密に迫る【音楽のQ&A】前編)
入江さんはオールラウンダーですが、プロコフィエフには特別な思い入れがあるようで、「彼の作品に初めて出会った時からその魅力に惹かれ、以降、熱が冷めることはありません」とのこと。本シリーズはピアノソナタ以外の作品も多く採りあげられており、第1回には、入江さんが初めてプロコフィエフに触れた思い出の作品である「タランテラ(子供の音楽 作品65)」もプログラムに組み込まれています。
「《戦争ソナタ》といわれる第6・7・8番を各回のメインに据え、プロコフィエフの音楽を多角的に楽しんで頂けるようなプログラミングを施しました。全3回を通して、プロコフィエフの多様性に肉薄していきます。聴いて下さる皆様と、新たなプロコフィエフ像を築いていけるならこれ以上の喜びはありません」
さて、プロコフィエフの多様性についてですが、プロコフィエフ自身が、自分の作風には「古典的要素/近代的要素/モーター性/叙情性/グロテスクさ」という5つの要素があると述べています。
《ピアノソナタ第1番へ短調作品1》は古典的要素と叙情性が大きな割合を占めているのでしょう。大輪の花が開くように、芳香を放つ美しい旋律が、入江さんののびやかな音で存分に歌われました。
続く《風刺作品17》では一転、近代的要素とモーター性が前面に打ち出され、ピアノの楽器の打撃的な要素も特徴的に奏されました。
《I. Tempestoso 嵐のように》は、実際に髪を振り乱して弾かれ、迫力が伝わってきます。トリルのような6連符が皮肉な笑い声のように聴こえ、まさにタイトルの“風刺”を想起させました。
《II. Allegro rubato 間のびしたアレグロ》の冒頭はたっぷりルバートで自由に浮遊しますが、曲が進むにつれて緊張感が増し、冒頭との対比が激しく、そのコントラストに魅せられました。
《III. Allegro precipitato せき立てるアレグロ》は、静かに走り続けるさまが印象的でした。感情を排した正確なテンポが、冷酷無比にせき立てます。
《IV. Smanioso 狂気したように》で、冒頭のような感情が戻ってきます。高音域で駆け上がるスケールが狂気の炎のような不気味さを帯び、低音域の和音は、まさに感情がこごった塊のようで、プロコフィエフの世界を表現する入江さんの引き出しの多さに圧倒されました。
前曲の狂気の雰囲気をそのままに、《V. Precipitosissimo 激しくせき立てるように》が始まりましたが、途中ではっと我に返り…その先は第3曲《せき立てるアレグロ》に通ずる冷徹さで、少しずつ確実に迫ってきます。これ以上逃げられないところまで近づいたところで、まるで悪夢が醒めるように曲が終わります。世界観にどっぷりと浸かり、表現しつくす演出力に惹き込まれました。
《ピアノソナタ第4番ハ短調作品29》は、これまで演奏された曲(ピアノソナタ第1番、風刺)の要素を融合するように演奏されました。第1楽章では不協和音が静寂に溶け込み、神秘的な音が漂います。時折きらめく高音が、入江さんらしい透明な音色で美しく響きました。第2楽章は、寒々とした暗い曲調と叙情的な曲想が繊細な陰影で描かれました。第3楽章は、待ち焦がれた春のように、明るさが尊く、輝かしく奏されました。
後半は《子供の音楽作品65》から。この曲集について、入江さんは「プロコフィエフらしさは複雑な作品にのみだけでなく、音が少なく可愛らしい作品にも現れています」と述べています。
第1曲《朝Matin》では爽やかな光の雰囲気が、第2曲《散歩Promenade》では心躍る様子が、第3曲《物語Historiette》では、子どもが夜眠る前、ベッドの脇で読み聞かせをするお母さんの声や、揺れるろうそくの柔らかな光が思い浮かぶような演奏でした。この3曲で、子ども時代の一日を思い出しました。
第4曲《タランテッラTarantelle》は躍動感が楽しく、第6曲《ワルツValse》は、おとぎ話に出てくるお姫さまと王子さまが踊っているよう。入江さんのピュアな音が映えました。
第7曲《きりぎりすの行進Cortege de sauterelles》は無邪気な躍動感が瑞々しく、第8曲《雨と虹La pluie et l’arc-en-ciel》は、ふと空を見上げた時の視界が広がる感覚が呼び起され、第10曲《行進曲Marche》では純真な音色と素朴なリズム感が体に自然に入ってきました。入江さんによる《子供の音楽》の演奏を聴いていると、日々の煩雑さを忘れ、救われるような心地がしました。
そして、今回のクライマックス、《ピアノソナタ第7番変ロ長調作品83》へ。
速めのテンポで始まった第1楽章は、進むことを恐れることなく常に前進し続け、第2主題も常に根底には焦燥感が漂い続けていました。不安感が常に付きまとい、第二次大戦中に書かれた背景が実感として伝わってきました。第2楽章も流れのある演奏で、緊張感が最高潮に達したあとの崩壊の描写、日常が崩れ去ったあとに流れてくる葬送行進曲、その重い足取りが不気味に表現されました。第3楽章は無窮動、モールス信号を思わせる無機質なリズムが、速いテンポのなかで寸分違わず打鍵され、緊張の糸を緩めることなく走りきりました。
アンコールは、「プロコフィエフの悪魔的要素、善人が悪に堕ちる瞬間を…」とのことで、《4つの小品より悪魔的暗示Op.4-4》がほとばしる情熱とともに奏されました。
氷のような冷徹さから炎のような情感、子どものころの温かな追憶から戦時中のただならぬ殺伐とした雰囲気まで、さまざまな世界観が大きなスケールで表現されたコンサートでした。
プロコフィエフの多様性のみならず、ピアノという楽器の表現の可能性も広がったのではないでしょうか。
渾身の最終回は今月2月24日(日)に開催されます。お見逃しなく!
(2018年10月27日開催)
<プロフィール>
入江 一雄(いりえ・かずお)Piano
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て同大学・同大学院を首席で卒業・修了。
第77回日本音楽コンクールピアノ部門第1位、第1回CWPM(ポルトガル)第5位入賞他、受賞多数。ソロ活動だけでなく国内主要オーケストラとの共演や室内楽の演奏機会も多い。近年ではN響コンサートマスター篠崎史紀氏から絶大な支持を受け、同氏リサイタルや室内楽公演で多くの共演機会を得ている。
2012-13年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション・2015年度文化庁(新進芸術家海外研修制度)より助成を受け、チャイコフスキー記念ロシア国立モスクワ音楽院研究科に在籍し、名匠エリソ・ヴィルサラーゼに師事。2016年夏に修了しディプロマ取得。2017年度より東京藝術大学にて教鞭をとる。王子ホールレジデンス「ステラ・トリオ」メンバー。第5回あおによし音楽コンクール奈良にて、ゲスト審査員を務める。
入江一雄プロコフィエフピアノ・ソナタ全曲<第3回>
2019年2月24日(日) 開演18:00
美竹清花さろん
⇨公演の詳細はこちらから
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