プログラムは鐵氏の斬新なアイディアが散りばめられ、単に第1番から順番に演奏していくものではなく、どこにもない稀有なプログラムを生み出したことで話題となりました。
(第1回「受苦」、第2回「あこがれ」、第3回「「構築を求めて」、第4回「悲しみ」、第5回「精神」、第6回「歌のかなた」、第7回「いずこへ」、第8回「幻想」)
そしてこの度、ロマン派の橋がけともなったベートーヴェンの作品からインスピレーションを得て、
鐵百合奈氏の新シリーズ「狂気の優しさを幻想に見る ─シューベルトからシューマンへ─」が始動します!
インタビュー前半はベートーヴェンを終えて、率直なご感想や変化など、
後半は新シリーズへの抱負などを語っていただきました。
第1回「追憶と幻想」 2022年9月17日(土) 18:00開演シューマン:幻想曲 Op.17 ハ長調
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」 D 894 ト長調
詳細・ご予約はこちら
全公演の詳細はこちら
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ32曲、全曲を弾き終えて・・・
スタッフベートーヴェンのピアノ・ソナタ32曲、全曲弾き終わった今の感想を教えてください。
鐵第32番の最後の一音を弾き終えた後、静寂で特別な時間・空間が感じられ、とても幸せでした。
前回(第7回「いずこへ」)のラストの曲、第31番の最後の音は長く、残響を感じながら浸れるのですが、第32番はスッと終わるので、鍵盤から指を離すときにとても名残惜しく感じられます。でも、今回、第32番を弾き終えた後に訪れた静寂は、とても特別なものでした。あの静寂は、ただの無音ではなく、この場に居合わせた全ての人が共有している空間を感じることができるもので、むしろ何か音が鳴っているよりも、音楽的な空間だったと思います。
スタッフたしかに…。あの瞬間、4年間でどのシーンにも無かったような一体感を感じました。
鐵そうですね。4年間かけて育んできた経緯がありますので、何か「完成した」という感じですね。
スタッフそう!まさに「完成した」という一体感を感じましたね!
きっと天国からベートーヴェンも参加してくださっているんだろうなぁと思ったら、泣けてきましたよ…。アフタートークで「参加する仲間たちが増えていく感覚」とおっしゃっていたのも印象的でした。
鐵そうですね。こういった”シリーズもの”というのは継続的な集客が難しいと思うのですが、今回のシリーズでは、ありがたいことに、回を重ねるごとに人伝やクチコミで参加される方が多くなり、それはとても幸せなことだったと思います。
スタッフそうですね!私たち主催側もそれはとても嬉しいことでした。
なかなかシリーズでこれほどの大団円を描いて最終回を迎えられることも少ないかと思います。鐵さんの人を惹きつける魅力のようなものも発揮できた企画になったのだと思います。
鐵途中、折り返し地点の第5回の時点で企画会議があり、そこでテコ入れがあったことも、自分の成長に繋がったと思います!
私の執筆するプログラムノートが回を増すごとに、どんどん学術的になって行ってしまったのですが、やはり原点回帰ということで、聴き手の皆さんと作り上げるということを念頭に置いて執筆するように軌道修正しました。
スタッフあ〜、その節はすみません(汗)
鐵えいえ、皆さんと共有しながら進めることの大切さを感じていましたので、言っていただけて良かったと思います!
スタッフそう受け止めていただけたのであれば、良かったです。
振り返ると、良い企画にするためにお互いに言いにくいことも、言い合いながら進めてきましたね。衝突する時は辛いですが、今思えば、すべてに意味があったと思います。困難を乗り越えてこそベートーヴェン!ということで、それすらも美しい取り組みだったのではないでしょうか。
トピックタイトル
スタッフ最後の回を終えたときに「演奏家さんは演奏することが一番の成長に繋がる」と感じたのですが、鐵さんはこの4年間を通して、どんな変化をご自身で感じられましたか?
鐵「自分をベートヴェンの中で泳がせる」という表現を、とあるお客様がされていて、とても的確な表現だなと思いました。
この4年間、私はベートーヴェンのことばっかり考えていました。何か、そればかりを考えていると「ベートーヴェンらしく」という意識がなくなってきます。ベートーヴェンのことを考えているのが当たり前なので、「ベートーヴェンらしさ」という先入観が抜け落ちていき、それが一番の収穫だったと思います。ベートーヴェンらしく力強く、ベートーヴェンらしくキッチリ、などといった「ベートーヴェンはこう弾くべき」という既成概念のようなものが、どうしてもあると思います。シンドラーの伝記からもわかるように、苦悩して打ち勝つ、清きベートーヴェン像というイメージが染み付いていますよね。この4年間のシリーズでは、そのようなベートーヴェン像の色眼鏡を取り払い、「私が感じるベートーヴェン」を表現できたかな、と思います。
スタッフなるほど、とても興味深いですね。たしかに、鐵さんのベートーヴェンを聴き続けていく過程で「あまりベートーヴェンらしくないかも?」と思うことが、実際にありました。ですが、それは聴き手も解釈の幅を広げるためのチャレンジでもあると、すぐに理解しました。音楽は言葉を超えた存在だからこそ、色々な解釈の幅を広げることができますよね。
鐵母も、私の弾く月光の第2楽章を聴いて、「ベートーヴェンらしくないんじゃない?それ大丈夫?」と言いました(笑)。たしかに、少しテンポをルーズにして、シューマンっぽく弾いてみたんですよね。
スタッフたしかに、鐵さんのベートーヴェンからは、ベートーヴェン以降の作曲家の片鱗が現れていると感じる箇所を、多々発見しました。
鐵最初の頃から”自分らしく”このシリーズに取り組もう、と思っていました。
自分らしく、というのは奇を衒ったようになってしまいがちなのですが、途中からそうではなく、自分の感受性を大切にして、良い意味で自分に素直になろう、と変化できたような気がします。
スタッフたしかに。鐵さんのそれこそコンクール時代のセンシティブで緊迫感のある演奏も好きでしたが、途中で演奏が変化してきたことに私たちも気がつきました。良い意味で肩の力が抜けていて、空間を楽しむような感じがしました。
鐵そうですね、視界が広くなっていったような気がします。
以前、大学時代の室内楽のレッスンで「透明な筒のような集中力を持ちなさい」と言われたことがあり、その表現が自分の中でとてもフィットしました。色が付いている筒だと周りが見えなくなってしまうので、透明な筒であるように、と言われていたんです。なるほどと思いました。
そういう意味では、やっとホールで自分の音が聴けるようになったなぁと思います。美竹サロンのこの規模の広さだからこそ、よりそれが実感できたと思いますので、本当にサロンに育てていただいたと感じています。
その瞬間生まれる音を柔軟な感性によって扱うことは、ライブの醍醐味だとも思うので、それを体感できたことも嬉しいです。
書くことと弾くこと
スタッフ今回、執筆活動と演奏活動、どちらも平行して力を入れて取り組まれていたと思いますが、なぜどちらも取り組もうと思われたのでしょうか?
鐵「分析をどのように演奏に取り入れるのか」という課題は私のライフワークなので、その実践の場として、このコンサートの企画を位置付けていました。
最初の方のプログラムノートは、自分が修論を書くにあたって勉強したことをベースにして書いていたので、なんだか勉強ノートのようになっていたかと思います。ですが、それをご指摘いただいてからは、文献や目録の情報による「客観的なもの/これまでの研究によって『事実』とされているもの」と、自分が演奏の際に感じる「主観的なもの/それぞれの演奏者によって多様であるのもの」に分けて執筆しました。だんだん回を追うごとに、分析の中から何を伝えたくて、どのように取り入れたのかということを、自分の中で消化して書くようになっていきました。また、解説の手法についても、「譜例が無ければ説明できない」のではなく、「譜例が無くても伝わる」ように表現の工夫を重ねました。音楽表現の言語化が4年前よりはスムーズになり、音楽界隈にしか伝わらない表現(楽譜など)以外での伝え方の「引き出し」が増えたことは、私の中で成長できたところだったと思います。
スタッフ今のお話を聞いてみても思ったのですが、鐵さんはすごく研究者的な気質があると思います。聴き手というのはわがままで、自分の解釈にハマると嬉しいという思いもありつつ、何かわかりやすいものを好み、扇動されたい!という思いもどこかにあるのだと思います。クラシック音楽というのは膨大で難しいイメージもありますし、楽器を弾ける人もそう多くはないので…。
鐵なるほど、扇動ですか…、「あの偉い人が言うことだから正しいだろう」と信じることなどがそれに当てはまるのかな…。その姿勢も一理あると思うのですが、聴き手の皆さんにはシンプルに自分自身の感受性も大切にして欲しいな、と思います。もちろん、受け継がれた伝統や聴き方のトレンド、というのもすごく大切なことだと思いますが。
スタッフそうですね。先入観から入らずに、音や響き、作品をありのままに感じることも大切なことですよね。
感受性という言葉が出たので少し聞いてみたかったのですが、鐵さんが使われる詩的な言葉やシーンを表現する言葉のセレクトがとても印象的だったのですが、そういったイメージはどこから仕入れているのですか?
鐵実は、コロナになってからおうち時間を過ごすなかで、よく映画を観るようになったんです!(笑)
名作はもちろん、B級映画なども観るのですが、そんな中でも何か印象的なシーンが音楽作りに繋がったりすることがあったのかもしれません。
スタッフ普段見たものや生きてきたことを取り入れている感じでしょうか?
鐵そうですね。日本にいて普通に生活していると、たくさんの過酷な体験をすることはそうそう無いと思うので、そういった観たものやニュースから想像して自分が感じたことを大切にしています。
スタッフれは大切なことですね。画面の中の出来事を他人事として処理して、想像力を働かせることができなくなってしまう人が多いこの現代社会ですが、そういった感性を働かせる行為に尊さを感じます。
ベートーヴェンからシューベルト、シューマンの美しい流れ
スタッフベートーヴェンの後に、このシューベルトとシューマンに取り組もうと思ったのはなぜですか?
鐵ベートーヴェンの全曲に取り組む中で、シューベルトやシューマンに似ているところを見つけることがありました。それはもちろん、後世の作曲家である彼らがベートーヴェンから影響を受けたと考えられます。ベートーヴェンの作品の中から聴こえてきたシューベルトやシューマンの音の発見から、自然に次回の構想が生まれました。
逆に、前半回を弾いていた時は初期ソナタを配置していたので、ハイドンやC.P.Eバッハやモーツァルトのような響きが聴こえてきて、古典に取り組むのも良いかなぁと思っていました(笑)。でも、後半の方はやはりロマン派の薫りがしたので、今回はシューベルトとシューマンで取り組むことに決めました。
スタッフたしかに、流れとして美しいですね。
ベートーヴェンのどんなところから、シューベルトやシューマンの音が聴こえたのでしょうか?
鐵たとえば唐突なクレッシェンドが挙げられます。平穏で優しい第15番「田園」であっても、緩徐楽章では驚くようなクレッシェンドが配置されていて、少し狂気を感じます。そこにシューマンの不安定な精神状態の曲想が感じられました。逆に、優しい表現も挙げられます。第14番「月光」の第2楽章、半音階でふわっと溶け合うような箇所はすごくシューベルトらしいと思いました。第27番の第2楽章は、一般にもよくシューベルトらしいと言われていますね。同じように、第28番の第2楽章はシューマンらしいとよく言われています。ベートーヴェンから聞こえてくるシューベルトらしさ/シューマンらしさとしては、「付点リズム」も挙げられるでしょう。先に挙げた第28番の第2楽章は、まさに付点リズムがシューマンっぽさに繋がっていますね。対して、シューベルトっぽい付点リズムは、とくに左手の扱いで顕著に感じられます。ベートーヴェンの初期ソナタの付点リズムに関しては舞曲のリズムがルーツですが、後期のソナタでは何か、足がもつれるようなリズムがあったり、舞曲ベースではなく、ベートーヴェンが表現として独自に生み出したリズムが多いと感じられました。このような歪んだリズム、なかでも足のもつれを連想させるリズムは、シューベルトと共通していると感じました。
スタッフなるほど!ちなみに今回のプログラミングはどのような意図で組まれたのでしょうか?
鐵えっと…これは、フォーマルな感じでお答えした方が良いのでしょうか?(笑)
素直な、カジュアルな意見で言うと、シューベルトの後期のソナタが弾きたいなぁ!と思っていたのが正直なところです!シューベルトのソナタを、うしろから4曲並べると幻想ソナタからの並びになりますので、じゃあ第1回ではシューマンの幻想曲と合わせると良いかなと思いましたし、ベートーヴェンの最終回のテーマが「幻想」だったので、次に繋がる流れとしてはピッタリかなとアイディアが浮かびました。
スタッフ鐵さんのそういった共通項のようなものを発見し、新たなアイデアを生み出すところがすごいですよね!
音楽に対する情熱というか、探究心の強さというか、そうしたものも良い企画を生み出す原動力になっているような気がしています。
モチベーションは不要なのか?
スタッフシリーズものに取り組むのは多くの演奏家にとって覚悟が必要なので、躊躇してしまうことかと思います。鐵さんがチャレンジし続ける理由や、モチベーションの原動力を教えてください。
鐵それ、なぜかよく言われますね。私は好きなことができて、それを続けられるだけで幸せだな〜って思うので…(笑)
なんでしょう。ちゃんと区切りがあることで、それに向かって今の自分をアウトプットすることができるので、決めてしまった方がメリハリが付くのかなと思っています。
スタッフたしかに。締め切り効果ってやつですね!その締め切りを決めるのが、傷つきたくないから決められないのだと思うんですよね…鐵さんはそういう怖い気持ちとかは無いのでしょうか?
鐵え〜、プログラムを考えるとき、ネガティブな気持ちは全く無いです。コンサートが終わってから「次、何弾こう〜♪」って考えている時が一番幸せです!ここだけの話、ベートーヴェンの全8回の曲目は、一晩で集中して一気に組んだんですよ。何か、嬉しくて嬉しくて…(笑)
スタッフえ〜!それはすごい。
鐵あ、ただ、企画を考えるときは、もう楽しくて楽しくてポジティブ全開ですが、本番前はもちろん「うわぁ〜どうしよ〜」とはなりますよ!(笑)
シリーズものの醍醐味
スタッフ最後に、新たなシリーズにお越しいただくお客様にメッセージをお願いします。
鐵ベートーヴェン全曲に取り組んだこの4年間で、たくさんの変化がありました。演奏面では、その場の空気を柔軟に感じ取り、その時に生まれる空間の中で音楽作りをするようになりましたし、執筆については客観的事実と主観的記述に分けて執筆することを意識するようになりましたし…。環境の変化でいうと、博士を卒業して大学院で講師として教える立場になり、「どのように弾きたいか?」ではなく、「どのように聴きたいか?」を、より意識するようになりました。長期間に渡ってシリーズものに取り組む意義は、そういった「変化を楽しむ」ことでもあるのではないでしょうか。もちろん、聴き手の皆様も様々な変化がある中で、ご一緒に音楽の空間を創ってくださると思います。これからはじまる2年間の変化や、皆様と共有できる空間を大切に、そしてこのシリーズの最後を皆様とどんな瞬間で迎えるのか、すべてが楽しみです。
(2022年2月21日収録。文責、見澤沙弥香)
次回シリーズ
狂気の優しさを幻想に見る
─シューベルトからシューマンへ─
⇨公演の詳細はこちらから
Tel:03-6452-6711
info@mitakesayaka.com
全シリーズ・プログラム一覧
第1回「追憶と幻想」 2022年9月17日(土) 18:00開演
シューマン:幻想曲 Op.17 ハ長調
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」 D 894 ト長調
【公演情報】
第2回「情熱と幻想」 2023年4月29日(土) 18:00開演
シューマン : 交響的練習曲 Op.13 (遺作入り)
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第19番 D958 ハ短調
【公演情報】
第3回「包容と幻想」 2023年11月25日(土) 18:00開演
シューマン:クライスレリアーナ Op.16
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第20番 D959 イ長調
【公演情報】
第4回「瞑想と幻想」 2024年6月15日(土) 18:00開演
シューマン:幻想小曲集 Op.12
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 D960 変ロ長調
【公演情報】
プロフィール
鐵 百合奈(TETSU Yurina)Piano
2019年、N&FよりCDデビュー。2021年には2枚目のCD「シューマン」をリリースし、「レコード芸術」で準特選盤、毎日新聞や「音楽現代」などで特薦盤、推薦盤に選ばれる。
2019年よりベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏シリーズを開催、NHKからドキュメンタリーが放映される。
多くのリサイタルを開くほか、読売日本交響楽団、東京交響楽団、広島交響楽団などオーケストラとの共演も多い。
第86回日本音楽コンクール第2位、岩谷賞(聴衆賞)、三宅賞。第4回高松国際ピアノコンクール審議員特別賞。第20回日本クラシック音楽コンクール高校の部第1位、グランプリ。第11回大阪国際音楽コンクール、第14回ローゼンストック国際ピアノコンクール、各第1位。 2015年、皇居内桃華楽堂において御前演奏を行う。2017年度香川県文化芸術新人賞受賞。
ヤマハ音楽振興会、よんでん文化振興財団、岩谷時子 Foundation for Youth、宗次エンジェル基金より、奨学金の助成を受ける。
学術面では、論文「『ソナタ形式』からの解放」で第4回柴田南雄音楽評論賞(本賞)を受賞、翌年「演奏の復権:『分析』から音楽を取り戻す」で第5回同本賞を連続受賞。
東京藝術大学附属音楽高等学校、同大、同修士課程、同博士後期課程を修了、論文「演奏解釈の流行と盛衰、繰り返される『読み直し』:18世紀から現在に至るベートーヴェン受容の変遷を踏まえて」で博士号を取得。2020年より桐朋学園大学院大学専任講師に就任。